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2023年1月のエッセイ

ハリコフの日曜日

花谷 清

 「ここでは、その格好では危ないよ」と、人に会うたびに忠告された。僕の着ていたのは綿のオーバーコートだった。ウクライナ北東部のハリコフ市に滞在したのは2003年2月から3月にかけてのこと。零下10℃も珍しくない厳寒期だ。市中心のホテルに泊まり、市街の北の外れにある研究所に車で送り迎えをしてもらっていた。

 凍てついた研究所の敷地の奥まった棟に、共同研究者M氏の研究室はあった。窓から敷地を取り囲むベージュ色の古いコンクリート塀が見え、その内側に、もう一層、真新しい銀色のフェンスが張り巡らされているのが望めた。フェンスと塀の向こうに雪原が広がっている。数十キロの近さにロシアとの国境があるはずだ。

 古いコンクリート壁は1920年代末に創設された研究所の輝かしい歴史を、新しいフェンスは研究所の置かれた状況を物語っていた。フェンスの新設や検問所の警備の経費はIAEA(国際原子力機関)の援助を受けているとのこと。旧ソ連邦崩壊の混迷の中、核物質や先端技術が国外に流出する懸念があったためだ。

 長い廊下に沿い、扉がひっそり並んでいる。階段、壁、天井のモルタルは到るところ剝げ落ちていた。人と出会うことはめったにない。M氏の研究室の斜め前の壁に、判読できないほど色褪せた1枚のポスターが貼られていた。3段組みの絵の中、赤い十字を付けている女性は看護師らしい。或る日、「これは何」と訊ねてみた。M氏は自嘲とも苦笑ともつかない表情で、(西側から)核攻撃を受けたとき、緊急にどう対処すべきか示した図だったと言った。ウクライナ独立から十年余り、冷戦時代の遺物が残っていたのだった。

  オデッサもクリミアもゆめ雪の原  清 『森は聖堂』(2011年)所収

 日曜日に、年配のV氏が市内の名所を丸一日かけて案内してくださった。徒歩とメトロを使っての道すがら、この地ハリコフが第二次世界大戦の激戦地だったこと、多くが正規軍でなくパルチザンとして戦ったことなどを語られた。そして、スターリンの時代に失踪した低温物理学者のことにV氏の話は及んだ。失踪の真相は不明だが、ゆるぎない業績を上げていたにも拘わらず、若いころドイツに留学した経歴が咎められたのではと言う。

 午後、「物理学者の家」――折にふれ議論をするサロンのような館――へ案内された。途上、雪の降りしきる街路を隔てて、ほっそりした若い男女のグループとすれ違った。当地の住民とは異なる風貌なので、足早に移動する男女の集団を目で追った。怪訝そうな僕を察したのだろう、V氏は即座に「留学生たちだ」と呟き、口を噤んだ。推測に過ぎないが、航空宇宙大学もあるこの学術都市で、彼らが何を学んでいるのかを、理解できた気がした。以来、憂慮すべき報道に接するたび、その日遭遇した、未だあどけなさの残る面持ちの留学生たちの運命に思いを巡らす。エリートとして国に戻り、歳月を経て第一線の専門家として、どのような役割を果たし、どのような生き方をしているだろうかと…。

 国境付近で大規模軍事演習を行っていたロシア軍が、多方面からウクライナに侵攻を始めたのは2022年2月24日の早朝のことである。 3月8日には、「ハリコフ物理技術研究所」の敷地にロシア側がロケット弾を撃ち込んだと、毎日新聞が一面に見出し入りで報じた。4月以降、ハリコフはウクライナ語の読み方に基づいてハルキウと呼ばれている。

  壊滅の街の白地図水温む     清

(以上)

◆「ハリコフの日曜日」:花谷 清(はなたに・きよし)◆

  

■今月のエッセイ・バックナンバー

◆2022年

タイトル 作 者
12月 俳句史というもの 木村和也
11月 コスモスの波間 弓場あす華
10月 「住めば都」 杉井真由美
9月 私の居場所 江連彰子
8月 初夏の早朝の散歩あるいは仮想空間のある風景 今村タケシ
7月 題詠とドリフ 木村オサム
6月 実況アナ、レース出るってよ 稲野一美
5月 わたしの体、わたしの血 池田奈加
4月 薪ストーブサウナの歓び 岡村知昭
3月 安満遺跡公園 星野早苗
2月 あの頃 赤窄 結
1月 コロナ禍の中で 高橋将夫

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