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2023年9月のエッセイよろこびの子太田酔子夢を見ていた。ベッドの端に両手をかけて私の目覚めを待っている。その両手は毛に覆われた丸い手ではなく、毛の間から爪が伸びている成犬の手だ。我慢して私の身じろぎをじっと待っているが、そのうち「そろそろいいかな」というふうに静かなおねだりの声を出す。「もう起きて」と言っている。犬は概して自分の欲求を押し付けてこない。こちらが彼の欲求に気づいて、自発的に彼の方に気持ちが傾くのを待っている。 7月22日、飼っていた犬の一周忌が来た。その犬はジャック・ラッセル・テリアの男子、毛はスムース、ほとんどが白毛で、両耳と顔の左目の部分と尻尾の付け根が茶色。右の目尻に2センチくらいの濃茶色の班があり、目を閉じると歌舞伎の隈取の一部のような特徴的な表情になる。その白毛は輝く艶を持ち、尻尾は太くピンと立っている。無類に活発な犬で、初めて散歩に連れて出た時、小さな体が必死で先へ先へと引っ張る。足が地面につくのがもどかしいように。飛びたいのだ。帰って、足を洗ってやろうとしたら柔らかい肉球が血まみれになっていた。好奇心の強い冒険家だった。 彼との散歩は濃密な時間だった。話しかけるどんな言葉も彼は黙って受け入れる、私を受け止める、まるで吸い込んでくれるように私を抱き取ってくれる。この感覚はなんだろう。彼は存在しいているだけなのに。ただ存在しているだけという生の豊かさが眩しい。 8年4ヶ月が過ぎて病気が発覚した。毎月の検診と薬を飲み続ける生活になった他は元気だった。ただし薬の副作用は確実に蓄積し、肝臓の異常な数値となって現れた。見事な輝く毛の艶が失われ、ピンと立っていた太い尻尾が細くなり先の骨が見えるほどになった。それでも相変わらず活発で散歩が好きで食べることが好きで人が好きだった。けれどもある日突然死がやってきた。14歳になったばかりの7月22日。たった1日の患いで逝ってしまった。高熱で痙攣を起こした彼の最後の姿と、最後の一吠えが頭を離れない。最後に発した声は、もはや愛玩動物の声ではなく、本能の発した声だった。彼は犬に返って逝ったのだ。 そして1年が経った。山のように残ったおしっこシート、散歩時のうんち取り、ドッグ・フード。すぐそこにあった未来を、死を見通せなかったことの証拠のかたまりであった。私の感情はなかなか収拾がつかない。キッチンに立って足元に彼がいないことに胸がちくりとする。心の隙を狙ってくる。「お茶にしようか」わざと小さな声で言っても遠くの部屋から飛んできた。彼はどんな時も喜びそのものだった。 この特殊な、私だけの、人に伝えにくい感情を「言葉にとどめること」を始めてしまったのは、「書く」ことが鎮魂、あるいは祈りの行為だからであるためか。くりかえしくりかえし、死に至った一日、一時間、一瞬を思っている。やがて哀しみから新しい展開が生まれてくる。言葉の中で彼が生きた存在になりうるかもしれない、と思い始めるのだ。これから先、何年も何年も彼は生き続け、その姿をわたしは言葉に定着することを続けるに違いない。 帰巣せよ色なき風を追ひて来よ 酔子 (以上) ◆「よろこびの子」:太田酔子(おおた・ようこ)◆
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