生き物の生態と季語(1)
蛙合戦
福田将矢
「夜の山に一人で行って、怖くないの?」と聞かれることがよくある。私の答えは決まって「怖い」だ。そうすると大概「あ~、やっぱり幽霊やお化けとか?」という質問が帰ってくる。――私は幸運にも(?)夜の山でお化けなどの類と出会ったことは一度もないため、不思議と怖くはない。むしろ何度かお化け側として、山に来ていた知らない人を驚かせてしまったことがあるぐらいだ。私が怖いのはむしろ、電波が通じない点である。特に夜、人気のないところで事故などが起こってしまうと簡単に連絡が取れないし、最悪の場合は命に係わることになる。
ではなぜ、危険を冒してまで夜の山に出かけるのか。それは、そこに生息する(夜行性の)生き物に出会いたいがためである。夜の山は非常に静かであるが、耳をすませると周りの生き物たちの息づかいが聞こえてくる。社会の喧騒を離れ、夜の山でニホンジカと目を合わせ、フクロウの鳴く声を聴き、アカハライモリの息継ぎを眺め、石垣の間で眠るヘビの姿を想像するととても心が躍る。野生の子連れイノシシらしき鼻息がすぐ近くで聞こえ、恐怖で心が躍る(?)こともある。
3月中旬のある日、私は友人とヒキガエルの「蛙合戦(*1)」を見に行こうかと相談していた。「蛙合戦」とは繁殖期にオスとメスのカエルが入り混じって産卵する様子を指した言葉であり、オスとメスのカエルが組んず解れつしている様が、あたかもカエル同士が争っているように見えることからその名がついたとされている。この様子は俳句の季語にも登場し、「蛙(*2)」「蟇出づ」「蝌蚪」などと共に春の季語としても親しまれている。しかしながら実際に蛙合戦を拝むのは容易ではない。というのも、蛙合戦を行う種類として有名なヒキガエルの繁殖期間は1年の間で数日から10日ほどと短く(*3)、時期がなかなか予測できないのだ。この年も、ヒキガエルの蛙合戦を見たいと2月下旬から3、4回ほどトライしていたのだが、カエルが全くいないか、いてもオスが1匹・・など、「合戦」の様子を生で拝むことはできず、もどかしい思いをしていた。
研究室での用事を済ませ、車に乗り込んだのは21時すぎ。夕食はどうしようか、どこかで食おうか。コンビニですませよう、今日はコンディションがよさそうだから早く見に行きたい。お前、前回も前々回も同じこと言ってたよな!・・などと他愛のない話をしながら山間部へと車を走らせる。私がよく訪れるヒキガエルの繁殖地は、京都北部、国道もとい“酷道”を進んでいき、峠道を逸れ、林道を進んだところにある。U字カーブ、S字カーブの連続する酷道を数十分ほど進み、峠にさしかかる。山間部でよく見かける温度表示計は2℃を示しており、凍結注意という文字が点滅している。舗装されていない林道に入り、振動する車をなだめつつゆっくりと進んでいくと、不法投棄されたキャンピングカーが見えてくる。ここが繁殖地の目印である。
少し広場になっているところに車を止め、ライトを消す。頼もしいハロゲンライトが一気に消え、あたりが闇に包まれる。車を降り、ヘッドライトをつけようとしたところで遠くの方から「クックックッ・・・」という声が聞こえてくる。ヒキガエルの「リリースコール」という鳴き声だ。詳しくは後述するが、オスがリリースコールを出しているということは、ヒキガエルのオスが少なくとも複数集まっているということだ。期待が高まる。はやる気持ちを抑え、バックルの欠けてしまった登山靴の紐をギュッと締める。
ヒキガエルが産卵する場所は多くが水たまりや水田、池などの、流れがごく緩やかか全くない場所(止水域)である。今回訪れた場所にも、田舎の旅館の大浴場ほどの小さな水たまりがあり、目当てのヒキガエルの繁殖場所となっている。雨の降らない日が続くと干上がってしまうような心もとない水たまりなのだが、ヒキガエルが毎年ここに集まってくることを見ると、他に適した産卵場所がないのかもしれない。
ヘッドライトの光を頼りに、1分も歩くと水たまりが見えてくる。水面にライトを当ててみると、大当たり。黄色い皮膚をしたヒキガエルのオス(*4)がもみくちゃになってメスらしき個体を奪い合っていた。やっとのこと、蛙合戦に立ち会えた。友人と思わずガッツポーズ。当のヒキガエルたちは、ホモサピエンスにライトで照らされるのもお構いなしとばかりに、目の前に広がる一大婚活イベントに夢中になっている。
ヒキガエルは産卵に際し、1匹のメスの上に1匹のオスがまたがる抱接(ほうせつ)という行動をとる。オスはメスの上でおんぶされた姿勢のまま、メスの脇腹あたりに両腕をギュッと押し込み(*5)、メスの放卵を促す。このように、繁殖行動に参加できるのは基本的にメス1個体につきオス1個体だけである。これで繁殖池にいるオスとメスの比率が1:1であれば平和なのだが、実際にオスとメスの個体数を比べてみると、大抵の場合オスの方が数倍は多い。このため、数少ないメスを奪い合うオス同士の争い:「蛙合戦」が観測されてしまうというわけである。どこの世界でもオスは苦労しているらしい。
この度も例外ではなく、数を数えてみるとオスが1、2、‥6匹。メスは・・1匹だけか、と思ったら群がるオスの下にもう1匹で計2匹。オスにとっては3倍の倍率だ。オスは眼前に広がる繁殖のチャンスを逃さまいと必死に他のオスともみくちゃになりながらメスの上にまたがろうと躍起になっている。あるメスは3匹のオスにもみくちゃにされ、ひっくり返ってしまっている。別のメスはオスとうまくカップリングしたようだ‥と思ったら別のオスが近づいてきて、あろうことかカップルの間に割り込もうとしている。あるオスなどは別のオスに抱接され、「クックックッ…」と姿に似合わぬ甲高い声で鳴いている。車を降りた時にも耳にしたこの鳴き声は「リリースコール(*6)」と呼ばれ、「自分はオスだ(もしくは卵を持ってない)よぉ‥」といった音声信号となっているらしい。あのふてぶてしい姿からは想像しにくい、何となく情けない声が可笑しい。
一通り観察できたので、取り急ぎ車に戻り、カメラと調査器具を持ってくる。友人にライトを預け、夢中でシャッターを切る。生き物の動きを記録する、この瞬間が一番楽しい。その後は、持ち歩いている野帳にデータを記入していく。3月××日午前1時。くもり。持参した温度計で気温を測るとマイナス1度。水温は気温よりも高く6度。オス6個体、メス2個体、うちペアが2組・・。友人と一緒になって、しばらく夢中になって眺める。この無言の観察会は僕の「寒いな」という言葉が出るまで続いた。
カップルが成立すると、メスはおもむろにチューブ状のゼリーに包まれた卵紐(らんじゅう)を産む。卵紐一つにつき1000~2500個の卵が含まれているため、蛙合戦の後には水中が黒いつぶつぶでいっぱいになる。卵は細胞分裂を繰り替えし、4月には「蝌蚪(オタマジャクシ)」となる。命のバトンをつなぐという一仕事を終えたヒキガエルたちは、のそのそと土の中に移動し、さてもうひと眠り・・と再度冬眠(春眠と呼ぶことも)することになる。次に彼らに会えるのは「啓蟄」後の雨が降った日であろう。
京都のふもとでも昔はヒキガエルをよく見かけたという話を聞いたことがあるが、ヒトの暮らしや稲作の変化などに伴い、彼らが生息可能な場所は減少し、現在は京都周辺でもほんの限られた場所でしか見られなくなってしまった。繁殖場所に来る個体数も減少し、「蛙‟合戦”」ならぬ「蛙‟喧嘩”」となっている場所も多いと聞く。昨今はオオサンショウウオを始めとする「絶滅危惧種」「希少種」に対する注目度は高いものの、ヒキガエルやアカガエルのような「当たり前に見つかっていた種」が減少しているといった事実は注目されにくく、普通に生活しているとなかなか気づきにくいものである。「いつの間にかいなくなった」とならないようにするために、例えば百年後の孫世代に、「蛙合戦」を言葉だけでなく実体として残していけるようにするためには、彼らや、彼らを取り囲む生態系にもっと興味を持ってもらう必要があるだろう。俳句を通して生き物の面白さを伝えていく活動ができないものかと考える今日この頃である。
蟇出でてくつくつくつと闇の中 福田将矢
※本文中のヒキガエルはニホンヒキガエル Bufo japonicus japonicus を指しています。
*1) ^ 季語「蛙合戦」について
「蛙合戦(かわずがっせん)」とは、春の季語「蛙」の傍題となっており、角川ソフィア文庫「俳句歳時記:春(第五版)」を参照すると、『春の繁殖期には池や沼に多くの蛙がひしめきあって生殖活動を行うが、これを「蛙合戦」と呼ぶ』とあります。蛙合戦という言葉は古くから記載があり、例えば鎌倉時代の「古今著聞集」では、京都の高陽院(現在の京都市中京区付近)の南堀にヒキガエルが数千匹集まって戦を行ったという逸話が残されています。また小林一茶の俳句、「やせ蛙負けるな一茶これにあり」は、小林一茶が蛙合戦を見て詠んだ句とされています(ヒキガエル説とアカガエル説、どちらもあるそうです)。
*2) ^ 季語「蛙」について
本州に生息するカエルを大きく分類すると、ヒキガエル科、アマガエル科、アオガエル科、アカガエル科、ヌマガエル科の5種に分かれます。カエルに関する季語は「蛙」「青蛙」「雨蛙」「河鹿」「蟇」などがありますが、春の季語「蛙」は、トノサマガエル、アカガエル、ツチガエルなどのアカガエル科一般を、夏の季語「青蛙」「河鹿」「蟇」などは、ヒキガエル科、アマガエル科、アオガエル科を指しているものと考えられます。
*3) ^ カエルの繁殖時期について
タイトルに「動物の生態」と銘打っているので、カエルの生態についても少し触れてみましょう。カエルの繁殖は大きく2種類に分けられます。簡単に言うと「大きな声で鳴き、メスを誘う」タイプと「あまり大きな声で鳴かず、産卵場所でメスを待つ」タイプです。前者はアマガエル科、アオガエル科の多くやトノサマガエルなど、後者はヒキガエル科の多くやニホンアカガエル、ヤマアカガエルなどでみられます。これらのタイプの違いは一般に繁殖期間の違いによって説明されます。前者の「鳴く」カエルは、夏の間数か月など長い繁殖期間を持つため、動き回ってメスを探すことはなく、大きな声で鳴いてメスを誘う方法を取ります。一方で、後者の「大きな声で鳴かない」カエルは、1回の繁殖期間は数日から10日ほどで、短期集中的に産卵することが知られています。いわゆる「蛙合戦」が見られるのは後者の種類です。
*4) ^ 黄色い皮膚をしたヒキガエルのオス
普段のヒキガエルは茶色くぶつぶつとした皮膚をしていますが、繁殖期のオスは黄色くすべすべの皮膚になります。
*5) ^ 抱接時のカエルのオスの腕っぷし
この腕の力がまた強力で、たとえヒトの力でもほどくのは容易ではありません。あまりにも強く押し付けられた結果、内臓が破裂して死んでしまうメス個体も報告されています。
*6) ^ リリースコール
繁殖という情熱の炎にかられたカエル類のオスは、ヒトのオスでいう「恋は盲目」状態であり、同種のオスに抱きついてしまうこともあります。抱かれた側のオスが「違うよ!」とリリースコールすると、間違えた側のオスは手を放します。この行動は多くのカエル類で観察されており、繁殖にかかる無駄なコストを避けるために進化したものと考えられています。なお、恋は盲目状態のカエルは、弾力のあるものにはとりあえず抱きついてしまうようで、別種のカエルのメス、魚、さらには水のたまったビニールの買い物袋をしきりに抱きしめていた例なども報告されています。