関西現代俳句協会

■2020年9月 青年部連載エッセイ

俳句×博物館めぐり(4)
虚子記念文学館

学芸員 小林祐代(さちよ)


 高浜虚子(1874~1959)ゆかりの文学館は、全国に3館あります。1つ目は、虚子が50年以上暮らした鎌倉にあり、虚子の次女・星野立子が継承した資料を保存展示する鎌倉虚子立記念館。2つ目は、虚子が約4年間疎開し、ここにも又俳句の種が蒔かれることとなった小諸市立高浜虚子記念館。そして3つ目が芦屋浜に位置して、ホトトギス名誉主宰・稲畑汀子が館長をつとめる虚子記念文学館です。

 高浜虚子は明治7年に松山で生まれ、20年には1歳年長の河東碧梧桐と共に伊予尋常中学校に入学。24年からは同郷の先輩である正岡子規に、俳句を主とした文学指導を受け、虚子と碧梧桐は後に「子規門の双璧」と称せられました。

 虚子にとって人生の一大転機が訪れたのは、数え年25歳の明治31年で、松山の柳原極堂から継承した俳句を主とする月刊文芸雑誌「ホトトギス」の編集発行人となっています。夏目漱石の「吾輩は猫である」に影響され、虚子も明治40年代は小説に没頭して一時俳句から離れますが、大正2年に再び俳壇復帰し、生涯「ホトトギス」や次女立子主宰による「玉藻」に、俳句と写生文を発表しました。

 当館では来年3月7日(日)まで、企画展「虚子と碧梧桐」を開催中です。
 今回は、中学時代から作文を書かせたら47人中、碧梧桐が1番で虚子が2番だった記事に始まり、碧梧桐18歳時の驚くほど流麗な虚子宛書簡や、南越に就職の決まった三高時代の友人に贈った、虚子・碧梧桐らによる送別句巻等、初公開資料も多数陳列しています。

 そもそも虚子と碧梧桐の性格は、真逆でした。従って、虚子が提唱する俳句は季題を必ず入れ、575の定型を守った有季定型が基本ですが、常に革新を求める碧梧桐は、定型に拘らない自由律で、季題も一時期捨てた時代もありました。碧梧桐系列の俳人に放哉や山頭火がいることでもわかるように、碧梧桐の旅は基本一人旅です。虚子のように、多くの門人達を伴った吟行とは、この点でも大きく異なりました。因みにペットも虚子は犬派、碧梧桐は猫派です。

 二人の書もまた、対照的でした。虚子は書に何らこだわりを持ちませんでしたが、碧梧桐の書は、明治40年に中国古代の書を強く意識して以来、アートの方向へと刻々と変化を遂げていきます。その契機は、全国行脚「三千里」の旅で青森浅虫温泉に滞在していた碧梧桐のもとに、画家・中村不折から中国古代六朝時代の石碑拓本が送られたことに始まります。六朝書のゴツゴツとして力強い、真四角な楷書体に感銘を受けた碧梧桐は、一心に臨書して自らの書に取り入れました。当然、多くの碧梧桐門下の書も、四角くなります。これに対し虚子は一人、密かに丸文字で交戦しました。どちらの短冊も展示してありますので、比較してお楽しみ下さい。

 大変親密だった学生時代から、子規門の双璧と称された青年期、互いの個性をぶつけ合った壮年期の作品と、これまであるようでなかった虚子と碧梧桐の二人の世界展を、是非この機にご堪能いただければ幸甚です。

虚子記念文学館(きょしきねんぶんがくかん)
住所:〒659-0074 兵庫県芦屋市平田町8-22
電話番号:0797-21-1036 FAX:0797-31-1306
開館時間:10:00~17:00
休館日:月曜、祝日の翌日、8月11~17日、年始年末
入館料:500円
句会等に用いる貸会議室があります。お電話にてお問い合わせ、ご予約ください。
http://www.kyoshi.or.jp/


◆俳句×博物館めぐり(4)虚子記念文学館/小林祐代 ◆

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