関西現代俳句協会

■2020年5月 青年部連載エッセイ

俳句×博物館めぐり(2)
神戸山口誓子記念館

米田恵子


 山口誓子について書くときはいつも神戸大学との関係の説明から入ります。誓子は神戸大の出身でもなく、そこで教えていたということもありません。

 誓子と妻波津女には子供がいなかったので、財産や多くの蔵書などをどこかに寄贈したいということになり、たまたま波津女の兄弟や親戚の方々に神戸大学(もちろん旧制です)の出身者がいたということから、神戸大学への全財産の寄贈が決まりました。

 1994年、誓子が亡くなった後、住んでいた西宮市苦楽園の邸宅が神戸大学に移築されるという話もあったようですが、1997年、阪神淡路大震災のため、邸宅は全壊となってしまいました。その後、神戸大学のキャンパス内に苦楽園の旧邸を一部復元するという形で、2001年、誓子記念館として開館し、同時に、百年記念会館内に、蔵書や遺品を保管し、俳句関係の図書を収めた誓子・波津女俳句俳諧文庫も作られました。

 私は、その文庫のほうで、誓子の蔵書や遺品・資料の整理・管理の仕事をしています。

 文庫には、誓子揮毫の軸・色紙・短冊、生前使っていた筆・墨・硯、眼鏡、着物、スーツはもちろん、昭和9年から誓子が亡くなるまでの句帖450冊、2万5千冊の蔵書、来簡(有名人も含めた)、段ボール箱6箱に入った自筆原稿、アルバム、そして写真などの資料が保管されています。 どうでしょう。鋭い方や研究などに興味をもっておられる方は、これらの資料をご覧になると感動するのではないでしょうか。実は、私もそうでした。「誓子先生、よくぞ、まあ、こんなにたくさん遺してくださいました」と、感謝と感動です。

 蔵書の請求記号をつけるなどの整理は、図書館のほうでしてくれたので、まず、こまごまとした遺品の整理から始め、句帖、来簡へと進み、最後に自筆原稿とバラバラの写真が残りました。初めて収蔵庫に入ったとき、自筆原稿の整理は最後の最後になるかなあ、そして、写真の整理は、これは絶対に無理だと思いました。原稿にしても、写真にしても、書いた日や撮った日などの情報は全く書かれていません。原稿は、内容から何とか判断できますが、写真は、いつどこで撮られたものかを特定するのは不可能だと思ったからです。

 しかし、時が解決してくれるものです。「パンドラの箱」と思われた自筆原稿の箱も、バラバラの写真の箱も、いつ書かれたものか、いつ撮られたものか、何とか特定でき、「お宝」の入った箱に変わりました。自筆原稿は、句帖と同様、誓子の推敲の跡が残されているので、どのように1つの原稿が完成していくかが分かる貴重な資料です。また、写真については、一人の人の幼いときから、大人になり、そして夫婦となり、やがてまた一人になる過程をつぶさに見るという、不思議な体験をさせていただきました。

 このように、神戸大学には、山口誓子に関したたくさんの資料があります。普段は訪れる人も少なく、私は誓子と向き合う静かな日々を過ごしています。また、今は、毎年秋に行われる「山口誓子特別展」に向けて、企画を練っているところです。そう、学芸員のような仕事です。

 ところで、私も定年が近づいています。一応、授業はしているのですが、研究まで進む学生さんは今のところいません。私自身、これでいいのかと自問しながらの毎日ですが、山口誓子の遺してくれた資料を掘り起こし、未だ知られざる誓子を紹介することが使命だと自分に言い聞かせています。

 一度、山口誓子記念館へお越しください。山口誓子について研究しませんか。

山口誓子記念館 誓子・波津女俳句俳諧文庫
住所:神戸市灘区六甲台町1-1 神戸大学
電話番号:078-803-5393
開館時間:10:00~16:00
開館日:毎週火・木曜日(現在は休館中)
館内閲覧は無料。句会や記念館の使用は事前予約のうえ料金が必要。
http://www.office.kobe-u.ac.jp/ksui-yamaguchiseishi/


◆俳句×博物館めぐり(2)神戸山口誓子記念館/米田恵子 ◆

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