俳句×博物館めぐり(1)
松野町立芝不器男記念館
川嶋ぱんだ
「松野町の気候と芝不器男」
私の活動を紹介するまえに、松野町の気候と芝不器男について少し話しておきたい。
この地域の冬は、関門海峡から入ってくる冷たい風が鬼ヶ城山系にぶつかり南国愛媛とは思えないほど雪が積もり非常に寒い。反対に夏は40度近くまで気温が上がる。
この街の中心には17世紀初頭まで伊予と土佐の国境を守る河後森城があった。
この城は、愛媛県最大規模の中世の山城だ。河後森城から城下一帯を望むと町の中心を流れる広見川があり、その広見川では鰻や鮎、津蟹と呼ばれる大きな川蟹など豊富な川が獲れる。
芝不器男は、この明治村の中心地だった松丸の庄屋に五男として生まれた。
不器男の祖父も父も兄も姉も俳句に親しんでいて、不器男も20歳のころから俳句を作るようになった。不器男が広く世に知られるきっかけになったのは昭和2年1月号「ホトトギス」の雑詠句評会だ。
前号に掲載された「あなたなる夜雨の葛のあなたかな」が高浜虚子に取り上げられた。この句は前書きに「仙台に着く、道はるかなる伊予のわが家をおもへば」とあり、進学先の仙台から松野町を想った俳句だ。
この句について高浜虚子は「あなたなる」で始め「あなたかな」で終わる大胆な叙法が成功していると評価した。この作品が不器男の代表作となるが、以後も「永き日のにはとり柵を越えにけり」「寒鴉己が影の上
におりたちに」「麦車馬に遅れて動き出づ」といった秀句を生む。
しかし、病魔が襲い26歳10ヶ月の若さでこの世を去ることになった。輝かしい作品を残しながらも短い生涯と短い作句期間だったため、「彗星の如く俳壇の空を通過した」と評される志半ばの作家となった。
「不器男顕彰の新たな取り組みと俳句合宿」
松野町に移住して感じたのは気候、文化、習慣のすべてが私の生まれ育った大阪とはまったく違うということだった。
南国愛媛というイメージで初めて松野町を訪れたのだが、その年は大寒波もあって松野町の気温は氷点下10度を記録し、北国と間違えるような極寒であった。温暖な土地で育ったというイメージを持っていたので、冬の厳しさが衝撃的だった。食べ物の味付けは基本的に甘く、秋には五ツ鹿踊りや牛鬼や亥の子歌といった行事がある。うなぎ漁や山菜採りなど年中通して自然に親しむ環境。生活をしてみないと分からないことだらけだった。
しばらく松野町で生活しているうちに芝不器男の俳句を知るうえで不器男が育った環境や境遇を理解しないと正しく理解できないかもしれないと感じるようになった。
例えば大正15年10月「天の川」雑詠に掲載された「川蟹のしろきむくろや秋磧」の俳句。
投句したときの居場所が「在伊予」とあり、生まれ故郷で詠んだ作品と思われるが、このあたりで獲れる津蟹(藻屑蟹)は手のひらから溢れるほどのサイズがあり、存在感がある。大阪で暮らしていた頃に大阪の里山である能勢で見た沢蟹の感覚で読むと、広い河原に小さい沢蟹の大小のコントラストとして読んでしまいそうだが、決してそのような読みでは芝不器男の作品として理解が及ばない。
芝不器男の作品の多くは松野町とその周辺で詠まれた作品が多いため、不器男の俳句を理解し、味わおうと思うと、少なからず松野町についての理解がないと読めないと感じた。 芝不器男を知ってもらうためには松野町の自然環境で体験を通じて作品を考えることが必要である。
そのように思ったことから、俳句甲子園を前に松山東高校の学生と俳句合宿をすることを企画した。俳句合宿では1泊2日の自然体験や地域の方の交流を通じて季語の理解を深めながら芝不器男の作品にも親しんだ。全部は紹介できないので、その中からジゴク漁体験を紹介する。
ジゴク漁とは、細長い長方形の仕掛けに、蚯蚓など餌を入れて、うなぎを獲る漁法である。地元の漁師さんに、指導していただきながら、学生たちはひとりひとつずつ仕掛けを上げていった。
夏でも川の水が冷たく気持ちがいい。目の前をカワセミが飛び、山々から蜩の声が聞こえる。
膝まで水に浸かりながら仕掛けをあげる。うなぎが入っている仕掛けは引き上げるときに澄んだ水が出る。反対にうなぎのいない仕掛けからは泥水が出る。
天然のうなぎなので仕掛けにかかっていても、太いうなぎはなかなか取れないが、小さいうなぎは「小石くぐり」と言ってこの地域では身が締まって美味しいと好まれる。
芝不器男は友人に宛てた手紙のなかで「国自慢の様で恐縮ですが鮎にしたつて鰻にしたつてたしかに松山のものよりもおいしいですよ。松山は県庁まであるのに鰻はどぶくさいではありませんか」と書いている。
また、芝不器男の俳句に「火を消して夜振の人と立ち話」とうのがあるが、このあたりでは「夜川」と言って芝不器男の時代にはアセチレンガスを使って魚を仕留めていたそうだ。 さて、学生たちはうなぎ漁のあと、七輪でうなぎを焼いて食べた。こういった体験は彼ら彼女らにとってどれほどの学びになったのだろうか。
将来、彼ら彼女らがどこかの里山で自然に触れた時に、ふっと松野町での体験を思い出すことがあればいいなと思う。ささやかな松野町での体験とともに芝不器男のことを思い出してもらえたら嬉しい。