俳句×博物館めぐり(特別寄稿)
姫路文学館
学芸員 竹廣裕子
企画展「生誕百二十年記念 俳人永田耕衣展」のご紹介と図録のご案内
姫路文学館企画展「生誕120年記念 俳人永田耕衣展」は、当初1月11日(土)から4月5日(日)までの会期を予定していましたが、新型コロナウイルスの影響で3月5日(木)以降、当館が臨時休館に入ったため、残念ながら会期を全うすることなく閉幕となってしまいました。
今回、貴重な機会をいただきましたので、本展にお越しいただけなかった皆さまに、展示でご覧いただきたかった内容が少しでもお伝えできればと思い、駄文を弄させていただきます。
当館では、阪神淡路大震災で倒壊した永田耕衣居「田荷軒」から、門弟の皆さんによって救い出された5000点を超える資料を保存しています。
生前の耕衣自身から寄贈を受けて以来、1996年に「虚空に遊ぶ 俳人永田耕衣の世界」、2000年に「俳人永田耕衣生誕百年展」を開催してきましたが、生誕120年を記念した本展は、20年ぶり3度目の耕衣展となりました。
2016年のリニューアルを経た今回は、2つの展示室を使うことにより、俳句の枠を越えた耕衣の大きな世界をより奥行きをもたせて詳しく紹介することができました。
第1会場の導入部では、加古川市に生まれた耕衣が、17歳から会社員生活を送る一方で、様々な分野に学びながら、自らを磨き続けた若き日々を紹介。19歳で負った右手の障害への苦悩を赤裸々に綴った短編や随筆にもスポットを当てました。
そんな悩める時代の耕衣に大きな影響を与えた棟方志功との出会い。生涯で初めて出会った本物の芸術家・志功との関係を、猛烈な熱情で「出会いの絶景」にまで高めていった様子を、志功書簡や「赤不動」の掛軸、幻の句集と呼ばれる「猫の足」など豊富な資料で紹介しました。
そして今回、力を注いだのが、耕衣の俳句遍歴を紹介するコーナーでした。
「ホトトギス」を皮切りに、終戦頃までに耕衣が関わった俳誌(川柳誌も含む)はじつに18誌。各誌に残したその足跡を探り、彼の言う「惚れ込みや自己脱皮や、結社意識の嫌悪」、「俳句芸術に人間を追求しようとする」愚直なまでの姿勢を浮き上がらせました。
さらに、戦後、耕衣の名を広く知らしめることとなった「天狼」時代。当時の耕衣の代表句に誓子がていねいに添削をした句稿は、どこかちぐはぐな二人の関係性が垣間見える貴重な資料です。
また、当時の俳壇を騒がせたという突然の「天狼」脱退について紹介したコーナーでは、今回が初公開となった神戸大学山口誓子記念館所蔵の誓子宛の耕衣書簡が注目を集めました。この書簡により、自筆年譜に耕衣が書いていた「或る明確な理由」が詳らかにされました。耕衣の矜持と、それを事あるごとに傷つけた西東三鬼への怒りが行間ににじみ出た貴重な手紙です。
続くコーナーでは、16冊の句集に沿って約80年に及ぶ耕衣の成長の道程を時系列に辿りました。
今回新たに発見した、戦時中に勤め先の工場内の「青年学校」で教師をしていた頃の講義ノートや、製紙技術開発のためのノートは、城山三郎の『部長の大晩年』で書かれているとおり、芸術世界を深める一方で、工場内でナンバー3というポジションに出世したという耕衣が、仕事にも真摯に向き合っていたことを示す資料として、関心を集めていました。
また自らの老化を見つめた耕衣が提唱した「衰退のエネルギー」を紹介したコーナーでは、その象徴となる「ナスミイラ」に注目した方も多かったようです。
このように耕衣の歩みをつぶさに紹介した第1会場に対し、第2会場では、がらりと雰囲気を変え美術展のような趣きとしました。
圧巻の迫力を持つ代表作「金剛」のほか、多くの耕衣自筆の書画作品と共に、耕衣が愛した品々として、白隠禅師の書や骨董、仏像などを展示しました。耕衣には、自身の愛蔵品の魅力を独自の審美眼で解説した『わが物心帖』という名著がありますが、ファンからは、展示空間がそのまま『わが物心帖』の世界のようだと好評を得ました。
そして最後に、阪神淡路大震災後の最晩年の日々を紹介しました。被災直後に詠んだ<白梅や天没地没虚空没><枯草や住居無くんば命熱し>を記した句帳も初公開となりました。
さて、このように盛りだくさんだった本展の構成と内容をぎゅっと押し込めた図録がございます。作家小林恭二氏、詩人時里二郎氏による寄稿もすばらしいので、ぜひお買い求めください。どうぞよろしくお願いいたします。
A4判 オールカラー 40ページ 定価700円(税込)
購入方法:本代700円分は、定額小為替か現金書留で、送料215円分は切手で、下記まで郵送してください。