関西現代俳句協会

■2019年9月 青年部連載エッセイ

世界俳句(6)
ブラジルのハイカイについて

スエナガ エウニセ


 2014年にポルトガル語俳句アンソロジー『Haicai do Brasil(ブラジルのハイカイ)』(Edições de Janeiro出版)を編んだアドリアーナ・カウカニョットは、序文で

「ブラジルでもっとも多くつくられている詩はハイカイである。現在つくられているハイカイの数は、19世につくられたソネットの数よりも多い」

と述べる。

 ヨーロッパで生まれ、ブラジルでも盛んだったソネット(14行詩)よりも、日本で生まれ、ヨーロッパやアメリカ経由でブラジルに導入された「ハイカイ」(ブラジルではhaiku(ハイク)と呼ぶ人もいるが、haicai(ハイカイ)と呼ばれることが多い)のほうが、より多くつくられているというのである。

 このアンソロジーでは、33人のブラジルの詩人や小説家の俳句がそれぞれ1~5句紹介されている。見開き2ページの右か左に三行の俳句1句が掲載され、編者のカウカニョット自身による墨絵風の絵が掲載される(ブラジルの句集で俳句と墨絵風の絵との組み合わせはよく見かける)。

 俳句作者のなかには、詩人のマヌエウ・バンデイラ、カルロス・ドゥルモン・ヂ・アンドラージ、マリオ・キンタナ、小説家のエリコ・ヴェリッシモ、児童文学作者として有名なモンテイロ・ロバットなど、ブラジルの文学史で必ず名前があげられる有名な詩人や小説家の名もある。

 ブラジルで俳句が盛んなのは、20世紀前半にはじまり、ブラジルの文学、文化、芸術運動に大きな影響を及ぼしたモデルニズム運動(現代主義運動)の知識人たちに、そして1950年代にはじまったポエジーア・コンクレッタ(コンクリート・ポエトリー、具体詩)運動の提唱者たちに高く評価され、またミロール・フェルナンデスやパウロ・レミンスキ―といった有名な詩人たちが自らハイカイと呼ぶ三行詩を好んでつくったからだといえるだろう。

 1922年にはじまったモデルニズム運動では、それまでの、形式を重んじ、洗練された言葉遣いを用いる伝統的な詩に対抗する新しい「詩」として、フランス経由でブラジルに紹介された、日常的な題材を扱い自然で素朴な言葉を用いる日本の俳句が一種のお手本とされた。

 ブラジルで最初の俳句についての詳しい紹介は、1919年に発表されたアフラニオ・ペイショットの『Trovas Populares Brasileiras(ブラジルの民謡)』だといわれるが、俳句の普及に貢献したのは、モデルニズム運動にも参加し、実際に俳句を創作し、独自のルールをつくったギリェルメ・ヂ・アウメイダである。

 アウメイダは1937年2月23日の『O Estado de São Paulo(オ・エスタード・ヂ・サンパウロ』)紙に発表したエッセイ「Os meus haicais(私のハイカイ)」で俳句の簡潔性を高く評価し、「私のハイカイ」のルールとして、5-7-5シラブルを三行に分け、1行目と3行目の最後の音節が韻を踏み、2行目の第2音節と最後の音節が韻を踏むハイカイを提唱する。

 アウメイダのこのルールの影響はいまでもブラジルのハイカイ作者たちに受け継がれ、タイトルをもつハイカイ、そして韻のルールすべて、もしくは部分的に従うハイカイはいまでも散見される。

 20世紀後半になると、アーネスト・フェノロサの「詩の媒体としての漢字考」やエズラ・パウンドが提唱するイマジズムの影響を受け、「ポエジーア・コンレッタ(具体詩)」運動を開始したアウグスト・ヂ・カンポス(1931-)とアロウド・ヂ・カンポス(1929-2003)兄弟が、最高に凝縮された詩としての俳句の技巧面を高く評価した。

 また「具体詩」運動から出発しながら、俳句の技巧面だけでなくその精神面(禅思想)を評価したパウロ・レミンスキー(1944-1989)、そして1940年代後半から「Hai-Kai」と自ら称する三行の諧謔詩を発表し始め人気を博したミロ―ル・フェルナンデス(1923-2012)も、詩人たちのあいだでの俳句の普及に大きく貢献している。

 このように、ブラジルではときに俳句の簡潔性や素朴な面が、ときにその技巧面が、ときにその精神面が知識人たちに評価され、その結果、多くの場合三行詩であることが唯一の共通点である「ハイカイ」が詩人たちに好んでつくられるようになったのである。

 1987年になると、ブラジルの詩人たちに季語をもち、5-7-5シラブルで構成され、自然を題材にする「正当」な俳句を伝えようと、ホトトギス派の影響を強く受けたグレミオ・ハイカイ・イペーというグループが活動を始めた。 そこで指導的役割を担ったのが増田恆河(ごうが)(1911-2008。本名は増田秀一)である。増田の俳句の師は、ホトトギス派の俳人高浜虚子の弟子で、ブラジルで日本語俳句の普及に貢献した佐藤念腹である。

 グレミオ・ハイカイ・イペーは1996年に、サンパウロ州を基準にした1400の季語が収録された『Natureza - Berço do Haicai (Kigologia e Antologia)(自然:ハイカイの揺籃(季語集とアンソロジー)』を刊行し、増田亡きあとも増田の姪のテルコ・オダが指導者となり、ポルトガル語俳句コンクールなどを企画し、精力的に活動を続けている。 しかし上記のアンソロジー『ブラジルのハイカイ』を見ると、「季語」をもち5-7-5シラブルで構成される俳句は少数派である。

 またパウロ・レミンスキ―の俳句が5句、ミロール・フェルナンデスの俳句が4句採択されているのに対し、テルコ・オダの俳句は1句のみである。グレミオ・ハイカイ・イペーの提唱する「正当」なハイカイの考えはまだブラジルの詩人たちのあいだに浸透していないようである。

 最後に、20世紀前半に俳句の独特のルールを提唱したギリェルメ・ヂ・アウメイダ、20世紀後半にハイカイの普及に大きく貢献したパウロ・レミンスキ―とミロール・フェルナンデス、そしてグレミオ・ハイカイ・イペーの指導者テルコ・オダの作品を、『ブラジルのハイカイ』から引用してみよう。

 ギリェルメ・ヂ・アウメイダ

Caridade
Desfolha-se a rosa:
parece até que floresce
o chão cor-de-rosa.

慈愛
薔薇が散り
花咲くようだ
ピンクの地面が

 パウロ・レミンスキ―

jardim de minha amiga
todo mundo feliz
até a formiga

女友だちの庭
みんな嬉しい
蟻も嬉しい

 ミロール・フェルナンデス

Na poça da rua
O vira-lata
Lambe a Lua.

道端の水たまり
野良犬はぺろぺろ
月をなめる

 テルコ・オダ

Sequência de clics –
um turista japonês
ao redor do ipê.

カシャカシャと
日本人観光客が
イペーの周りで

◆世界俳句(6) ブラジルのハイカイについて

スエナガ エウニセ(すえなが・えうにせ)

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