ろくじょうのやすみところ(1)
歌会始と和歌のノリ
御手洗靖大
ごきげんよう。心の花の御手洗靖大と申します。短歌の人です。国文学を勉強している大学(院)生でもあります。専門は平安時代前後の和歌です。
短歌の人なのですが、歌道としての和歌もやっています。京都御所の裏にある冷泉家というお公家さんの家で、毎月和歌のお稽古をしています。歌を詠むにも様々な作法があり、おもしろいです。
和歌と短歌のはざまで思うことを書きながら、いろんなことを考えてみたいと思います。
現代において短歌が和歌とつながるのはお正月の宮中歌会始でしょうか。短歌の人々の間では、現代短歌の歌人がそこに撰者として参加することの是非がいろいろと議論になるのですが、今回はそれはさておいて、短歌が歌われる場に目をむけてみたいと思います。
和歌を歌うことを披講(ひこう)といいます。詠まれた歌を披露するためにおこなわれるものですね。まず、講師(こうじ)という役の人が節をつけずに歌をよみあげます。このとき歌は5、7、5、7、7の句に分けてよまれます。短歌の世界では句ごとにあけて歌を表記するのはあまり好まれませんが、和歌の世界では5、7、5、7、7が分節されているのです。
なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな
講師は1句ずつ、さいごの音をめちゃくちゃのばしてよみあげます。「なにはづにーーーーーーーーーーーーーーーっ」1句目と2句目のあいだは長い間があります。はじめて聞いたとき、歌忘れはったんかな・・・と心がざわつきましたが、そういうことではなく、よみあげた歌の意味を聞き手に咀嚼してもらうために間があるそうなのです。私はまだできません・・・。
その後、独特の節でもう一度よまれます。この節には綾小路流と冷泉流があって、宮中歌会始では綾小路流でよまれます。私は冷泉家の門人なので冷泉流の披講はすこしだけできます。冷泉家では歌の詠み方を習いつつ、披講も教えてもらうのです。
私の国文学の師匠が東京で綾小路流の披講の会にいるので、良かったらHP、見て下さい。(披講も聞けます)http://hikou.jp/
そうそう、冷泉家でも歌会始はあります。今年は私も参列しました。兼題を事前に添削してもらって、それを和歌懐紙に書きます。懐紙というと、お茶のときに使うものを思い浮かべますが、それよりももっと大きい紙です。A3サイズに近いでしょうか。そこに「年始同詠(題)」「和歌」、名前をかいて、歌を9、10、9、3文字で書いていきます。最後の3文字は万葉仮名です。ここでも歌を決まったところで区切るという意識はあるようですね。(歌は載せません・・・笑)
披講のあと、当座の題が発表され、即詠が始まります。本当に事前に教えてくれないので、ヒイヒイいいながら歌を2首墨書しました。「ここで1句」というのは、短歌の人々の間では最も言われていやなきもちになる言葉の一つですが、和歌のノリは案外、ここで1首、みんなで歌会でもしまひょかという感じなのかもしれません。そういえば、『古今和歌集』にこんな歌があります。
さぶらひにて、をのこどもの酒たうべけるに、召して、「郭公待つ歌よめ」とありければ、よめる みつね
郭公声もきこえず山彦は外に鳴く音をこたへやはせぬ(夏 161番歌)
宮中の侍所というところで殿上人たちが酒宴しているところに、呼ばれていったら、「ほととぎすをまつ歌という題で、はい、ここで1首。」といわれて詠んだ。とあります。クールに書いてますが、かっこいいですね笑。こんなノリで和歌が詠まれていたこともあったのでしょう。
正岡子規が『古今集』攻撃で揚げ玉にあげたのもこういうノリの歌でした。
ふる年に春立ちける日よめる 在原元方
年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ
平安時代の暦はダブルスタンダードでした。いわゆる旧暦と言われる、月の周期で1年が区切られる暦が有名ですが、実は太陽の周期でも1年が区切られていました。それが立春、立夏、立秋、立冬といわれるものです。茶道をたしなんでいる方は二四節気という暦をご存じかと思います。あれです。月の周期と太陽の周期は異なりますから、カレンダーの1月、2月・・・というのと、今日から春、夏・・・というのがズレることも少なくなかったようです。そして、季節の節目は太陽周期なので、対応する月は現代とズレますが、四季の感覚は現代と同じようなものと考えてよいと思われます。
この歌は、カレンダーがまだ12月やけど春が来てしまいましたなあ、ほんまは1月からが春なんやけど・・・今日という日をもって、昨日までの1年をなんていいまひょか、という意味なのです。今日から春というあらたまった日に、ちょっととぼけてみせます。歌を詠む場に臨んでユーモラスに詠む。これも「ここで1首」と同じノリと言えるでしょう。さて子規はなんと言っているか。
先づ『古今集』といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実に呆きれ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合あいの子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候。
ぐぬぬ・・・。しかし、本当に「無趣味の歌」なのでしょうか。おそらく、子規は「去年とやいはむ今年とやいはむ」を事実の報告にすぎないとみたのでしょう。しかし、「年の内に春は来にけり」の「けり」には気づきがあります。太陽周期による立春という日、厳しい寒さの中に春の陽をみつけ、人々が喜び笑い合っている中での歌です。
『古今集』の歌人たちは、春を心から待ち望み、その到来を心から喜びました。そのうれしさに、この歌をよんでおどけてみせて笑い合う、そんな場面が浮かんでくるのは私だけでしょうか。これも和歌のノリ。和歌が歌われる場を考えるともっと歌が豊かになるように思うのです。
参考文献
正岡子規『歌よみに与ふる書』岩波書店 1955年2月25日
片桐洋一編『王朝和歌の世界―自然感情と美意識』世界思想社 1984年10月
田中新一『平安朝文学に見る二元的四季観』風間書房 1990年1月
片桐洋一『古今和歌集の研究』明治書院 1991年11月
小沢正夫ほか校注・訳『新編日本古典文学全集 古今和歌集』小学館1994年11月