葉ねめがね(5)
「言わない」人
池上規公子
まずは近況報告。
最近また、葉ね文庫で句集が動いております。
そのトリガーとなったのはそうです、
佐藤文香編著『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』!!!!
この本については、ここでは説明など要らないと思いますが、私は「まえがき」の巧さに感動しました。
俳句に慣れていない方のハードルを上げている「切れ」や「季語」について、どういうものかを一瞬で伝えつつ、読めばその面白さが分かるかもしれない、と、期待に変える。
店頭で何気なく手に取った方が「もう買うしかねぇべ。」と思う姿が目に浮かびます。
予想どおり、うちの店では俳句をやっていない方の購入が大半を占めています。
ふだんは詩集や歌集を好んで読まれている方や、他ジャンルの作り手である歌人さんや詩人さんが、評判を聞いて買いに来られることが多いです。
そして、読まれた方は好みの作者をみつけ、次は句集を買いに来られます。これって、すごいことです。
おもしろかった、という満足な声しか聞かない。
俳句に今は1ミリも興味がなくても、本が好きで、好奇心が強い方には、ちょっとすすめてみたいなぁ、と思っています。
さて。
復刊で詩集ファンを喜ばせている話題の本を紹介させていただきます。
北村太郎『港の人 付単行本未収録詩』(港の人)
港の人?んんん?
となった方もいるはず。
そうです、『君に目があり見開かれ』の出版社「港の人」さんの社名は、縁の深かった北村太郎さんのこの詩集からなんですよね。
「港の人」さんが復刊に注いだ情熱は計り知れないです。
とても美しい本。何十年もそばに置いておきたいですね。
現象を
たとえば色彩とおもうことで
こころが慰められることもある
いくつかの本質が
それぞれ日々刻々くずれていくとしても
白
黒
赤
それらの変化だけで生きていくのに事足りる
しかし
色彩よりもにおいのほうが懐かしく
すくなくとも本質の影のようにみえるとしたら
現象を
たとえば音とおもうことで……
でも
色彩と
時間とは
音と
空間とは
耐えがたい関係にしかありえなくて
においだけが灰に残っている
どんな
弔問のことばを述べればいいのだろうか
(「港の人22」)
この詩を読むと、抜け落ちている、あったのに無くなった文字があるようで立ち止まってしまう。
また、たびたび意味に立ち止まってしまう。
私が詩人・北村太郎さんに興味を持ったきっかけは、作品ではなく、まさに出版社「港の人」さんの名前が魅力的だと感じたところからでした。
北村太郎さんについて書かれた本をいくつか読みましたが、どの本でも共通して、優しくて口数が少ない、という人物像が浮かび上がります。
北冬舎編集部編『北村太郎を探して』(北冬舎)は、分厚くて内容がぎゅっと詰まった本。
未刊行未収録の詩が載っていて、こんな作風の詩もあったのか、と驚いたのは「あたしが」で始まる詩「悲恋「恋」」です。
エッセイ集では、めまぐるしい転職歴をネタにしていたり、校閲を男らしい仕事だと豪語したり、風が嫌いだから日本でいちばん風が弱い地方で永住したいと思ったり・・・と、素朴な文章から息遣いを感じるようです。
また、いろんな方が北村太郎さんとの思い出の文章を寄せています。
中でも印象的だったのは、娘さんである榎木融理子さんの文章「言わない」。
「言わない」人であったから、みんなが北村太郎の断片をかき集め、想像を巡らせ、それぞれの北村太郎を持ち寄りたくなったのでしょうか。
北村太郎さんは、同じく詩人で友人の田村隆一さんの妻、和子さんの恋人でもありました。有名な話のようです。
ねじめ正一小説『荒地の恋』はそんな恋愛もようを描いており、ドラマ化もされました。残念ながら、私はまだ読んでいません。
橋口幸子『珈琲とエクレアと詩人』(港の人)は、北村太郎さんを静かな文体でスケッチした本で、
この本に惚れ込んだ夏葉社の代表島田さんは、次は和子さんをスケッチした、橋口幸子『いちべついらい』(夏葉社)を出版します。(これも大好きなエピソードです。)
『いちべついらい』で『荒地の恋』について話す和子さんが描かれています。
「あの本のなかのわたしは嫌だな。わたしがすれっからしの女に書かれている。わたし、あんな女じゃないわ」
著者の橋口さんは、3人と一緒に暮らしたことがあるのですよ。
著者の記憶で辿る愛しい人たち、その半透明の生々しさ。
どちらの本も、心が揺さぶられるので覚悟して読んでください。