関西現代俳句協会

■2016年10月 青年部連載エッセイ

てにを、はっ。(5)
うつほばしら -祭の後を生きる蕪村-

橋本小たか


 

 さまざまな古典をからめ、ときに濃艶、ときに郷愁、ときに豪壮、
物語性を高めるにあたりなみなみならぬ緊張感を湛える蕪村の作品群。

 しかし、ときにふっと力の抜けたような句にも出くわしたりして、 私などはそちらのほうも捨てがたい。
(句の引用は『蕪村句集』玉城司=訳注(角川文庫)より)

     山人は人也かんこ鳥は鳥なりけり

 とぼけたようでいて、どこか不気味。おそらくは「なりけり」という強い断定のせいにちがいない。
注釈によれば、博物学や考証学がさかんだった当時、学者たちがなにかと議論を交わしていた風潮を背景とした句。かんこ鳥とほととぎすの違いが不明だったことに材をとって、学者の口ぶりをからかったものとのこと。
そういえば、「梅咲きぬどれがむめやらうめじややら」という句もあった。
知ってしまえば「いじわる目線の蕪村」というまた新たな蕪村像が立ち現われて来もするが、やはりここは句だけを見て、とぼけた不気味さを味わいたい。

     この村の人は猿也冬木だち

 なにか訳ありの句にも思え、例によって古典からヒントを得たアイデアであろうと現代語訳を見てみると、「この村の人は猿である。冬木立が続く」。
特に典拠は無かった。
「この村の」というよそ者としての視点といえ、「猿也」という突き放した断定といえ、不気味な味で、「裏・蕪村」とでも呼びたい暗さがある。

     うき我にきぬたうて今は又止みね

 芭蕉の「うき我をさびしがらせよかんこどり」から来ていることは一目瞭然だが、蕪村のほうがすこぶるわがまま。
われわれが知る蕪村像はあくまでほがらか、手紙その他から知られる温和な人のよさは潁原退蔵がしばしば説くところ(潁原は蕪村の人となりをやや理想化しすぎだと思うけれど)。「いらだつ蕪村」がここまであらわに出ている作品は、恐らくこの句にとどめをさす。

     起て居てもう寝たと(いふ)夜寒哉

 「もう寝ましたか」と問われ、「もう寝たよ」と答える。このナンセンスさがしぶい。
起きて何か用事をしているわけでなく、もう布団に入っているよ、という意味にもとれるが、ここはぜひ不条理の線で味わっておきたい。
注釈によると、昨今流行する、いわくありげな「作りもの」の句への批評として、平易な語り口調の作品をつくってみせた由。

     去年より又さびしいぞ秋の暮

 平易というなら、この句もしごく平易、作者名をふせれば鬼貫か一茶と間違いそう。
しかし、それだからこそ蕪村作品の特徴があらわにさらされていると見なくてはならない。どうやら蕪村には下降史観といえばいいすぎだが、昨日より今日のほうが何かが減っているという感覚があるらしい。

     きのふ(くれ)けふ又くれてゆく春や

 のほうが、その感じは顕著かもしれない。

     今朝きつる鶯と見しに啼かで(さる)

 しかし、ひょっとすると、減っているというより「遅れてきた青年」というに近く、終わってしまったあとの宴に訪れた客のさびしさが人生観のどこかにあるような気もして、蕪村の現在はしばしばそのどうしようもなさに彩られている。 蕪村はいつも「祭の後」を生きている。

 

 昨日の祭から遅れてきた蕪村の「きのふ」は、例えばこんな感じだ。

     几巾(いかのぼり)きのふの空のありどころ
    掛香をきのふわすれぬ妹がもと
    冬の梅きのふやちりぬ石の上
    きのふ見し万才に逢ふや嵯峨の町
    (この)蘭や五助が庭にきのふまで

 「きのふ」と「けふ」の違いは、ひとつながりの何かが減ったものというより、まるで「きのふ」に神代が終わってしまったみたいにその質自体を変えて、「けふ」は「祭の後」である。蕪村がわれわれに残した人間性の探究とは、この「祭の後」の感触ではなかろうかと思いたくなる。
もっとも、時間の連続した「かしこにてきのふも(なき)ぬかんこどり」といった句もあるけれど。

 「祭の後」に訪れてしまった者はいやおうなく「後の祭」の中にいて、ものごとはいつもとりかえしがつかず遠い。「きのふ」と「遠さ」は蕪村にとって、恐らく同義語に近かった。

     鮒鮓の便りも遠き夏野哉
    物焚て花火に遠きかかり舟
    落葉して遠く成けり臼の音
    遅き日のつもりて遠きむかし哉
    鶯に終日(ひねもす)遠し畑の人
    春風や堤長うして家遠し
    待人の足音遠き落葉哉
    住ムかたの秋の夜遠き灯影哉

 そして「祭の後」の者は、いま現在も何とも出会うことができない。

     高麗船(こまぶね)のよらで過行(すぎゆく)霞哉
    菜の花や鯨もよらず海くれぬ

 今そこにあるものを鮮烈にあばくことを目指した芭蕉ともまた対照的と言ってよいほど世界へのものの感じ方が遠くかけ離れ、蕪村は、そこにはもう何もなくなってしまっていることを謳わずにいられなかった。「祭の後」におとずれて、祭との時空の遠さに耐えつづけた人。人生はうつほと知っていた虚無の人。

 ところが、そんな人が人生の最後の最後にいたって、明るい今日を読んだ。「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」

  

◆「てにを、はっ。(5) うつほばしら -祭の後を生きる蕪村-」:
橋本小たか(はしもと・こたか)◆

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