関西現代俳句協会

■2016年8月 青年部連載エッセイ

てにを、はっ。(4)
さかしま銀河

橋本小たか


 雲雨のまじわり、という言葉がある。

「楚の懐王が巫山で契った神女が『(あした)ニハ朝雲トナリ暮ニハ行雨トナラン』と言った故事」(『蕪村句集』玉城司=訳注 角川文庫)。
 雲となって雨となって、あなたと交わりに行きますよというエロチックな約束である。この故事は漢詩にしばしば登場し、雨だの雲だのと出てきたら巫山の神女が踏まえられていることが定石、そんな中国文学を学んできた日本古典にもよく出てくる。

 俳句の世界で殊にこの故事を愛した作家といえば、おそらく与謝蕪村。

 南画の名作を数多く残した当代一流の画人にして俳人、明治以降は郷愁の詩人として俳句作家に多く影響を与えた蕪村。現代俳句の、あるいは色気の扱い方の直截、あるいは女性作家の専売特許という状況を思ったとき、彼がまた色気の作家であったことも忘れてはなるまい。

 もっとも、蕪村俳句の色気に関してこれがことさら大発見というわけではなく、安藤次男の『与謝蕪村』、辻原登の『与謝蕪村』(「日本文学全集12 河出書房」)と、ことあるごとに扱われる話柄だけれども。

     雨と(なる)恋はしらじな雲の峯

 神女と行うようなしっとりした交わりの風情を、雲の峯は知らないでしょうね。 雲の峯は言いかえれば入道雲。体ばかり大きくて鈍感、力まかせで粗雑、まるで入道のような男友達あるいは後輩への皮肉のようにも見え、興味深い。蕪村の顔つきや風貌がどのようなものだったかを知るよすがもないが、眼鏡をかけていたことは事実で、私などは芭蕉は筋肉質の裸眼、蕪村は中肉中背の眼鏡とキャラクターを勝手に分け、蕪村に親近感をおぼえてきたものである。会ったそばから忘れられてしまいそうな、特にこれといった印象の無い小柄な眼鏡男、それが蕪村の風貌だったのではあるまいか。

 話は変わるが、一体、芭蕉の視力はどれほどの数値だったのだろう? 時代背景の違い、言葉づかいの違い、その他さまざまな時代の違いを換算しながら味わうのが古典文学鑑賞の王道。ところが、そのさまざまな違いの中で眼鏡の有る無しを論じたものを読んだことがない。私自身は四十代のはじめで現在眼鏡をかけており、眼鏡をはずせばほとんど何も見えない。察するに、往時の四十代以降の文学者たちもほとんど何も見えないなかで作品を作りつづけていたと思ってよく、写生とか物を見るとかそういう概念は眼鏡が普及してこその新たな創作方針と言わなくてはならない。たとえば視力0.1以下だった芭蕉の晩年は過去の思い出ばかりを頼りに、発句をつくり、歌仙を巻いたと想像してみてもいいのかもしれない。

     方百里雨雲よせぬぼたむ哉

 精力絶倫な入道がいれば、清廉潔白、仏の道をひたすら極めるお坊さんもいようもの。この句は牡丹の気高さを詠ったものとする解釈が普通だが、牡丹のように色白で美顔、それでいて浮いた噂が一つとしてないお坊さんの姿が隠されてはいまいか。

     雨後の月誰そや夜ぶりの(すね)白き

 蕪村俳句には、脛、というより白いふくらはぎフェチと思われる節があるのは誰もが認めるところ。ところでこの句の脛は誰の脛だろう。「夜ぶり」とは松明をともして行う漁のことらしく、主人公はどうやら男性のよう。男色の関係をもった美青年が、情事のあと、夜ぶりをおこなう、その脛のなんと白くて美しいこと。そんな風に読めなくもない。こうしてこの句と前掲の「方百里…」は、一本の線でつながることになる。
 妄想と言われればその通りと答えるしかなく、蕪村男色説なるものは寡聞にして知らないが、日本史の謎に男色という補助線を引けば答えが出るとはよく言われること。あながち妄想でもないと思いたい。

     しぐるるや山は帯するひまもなし

 雨も雲も出てこないからと言って、安心はできない。しぐれもまた雨と雲でできている。

 ところで、「山は帯するひまもなし」というとき、山は男だろうか、女だろうか? たくさんの男たちと女たちが集う歌垣と想像してみるも良し、しかし、しぐれる冬にそれもいかがなものか。古来、山の神は女と言われて来た。美人を連れての山登りは山の神様の嫉妬を買って、遭難が起こるとか。巫山の神女が雨になって雲になって訪れるという原話とは逆になって具合が悪いが、山はやはり女、帯するひまもなくおさかんに楽しんだ挙句、山眠ると相成る。

     老いが恋わすれんとすればしぐれかな

 人のことはともかく、ご本人はどうか。老いらくの恋などと今さら熱くなっても致し方あるまいと恋心を忘れようとしたそばから、もう一人の自分がほてってくる。

     鮒ずしや彦根の城に雲かかる

 前掲の『日本文学全集』で辻原登は「鮒ずしに舌鼓を打ちながら、見上げるとお城が見え(略)その上に雲がかかっている。あれは夕方には雨を降らす雲になるかもしれない。と思うと、女に会いたい恋情が溢れる」と解釈して、恋が隠されていると見る。
 その通りだろう。ところで、蕪村の鮓の句には他にも、

    夢さめてあはやとひらく一夜ずし
    鮓つけて誰待としもなき身哉

 があって、恋、というより、もう少しなまなましい恋情が隠されているように思え、蕪村にとって「鮒ずし」とは何だったのか勘ぐりたくなる。ここで思い出すのは、丸谷才一がそのエッセイで紹介していた挿話。ある夜、眠っているナポレオンの鼻の先にチーズを近づけると「ジョセフィーヌ、今夜は疲れているからやめとこう」とつぶやいたというもので、おそらく蕪村は鮒ずしにそのような匂いをイメージするたちだったのではあるまいか。

…日本という国は青年世代にとってますます暮らしにくくなる国になることが予想され、個人がどうにかできる範疇を越えた理不尽に飲み込まれ、当たり前の日常がはるかに遠ざかり、今日この日さえ懐かしまれることになるに違いない。

    さみだれや大河を前に家二軒

であって、

    春風や堤長うして家遠し

である。

 望郷の詩人としてそのロマンチックな味わいが発見されたのも昔のこと。あらゆることが自分とはほど遠く、その「遠さに耐える」ことしかないと私たちが気づいたとき、改めて蕪村は発見されるだろう。テーマは望郷ではなく、永遠の喪失となるだろう。

 蕪村はいつも現実の手ごたえにたどりつけない。たどりつけないことをあきらめているし、たどりつかないようにしている。所詮、世界は遠く、自分はそれを摑むことなどできない。芭蕉と蕪村の違いはその人生観にあると思われるけれども、これからの私たち青年の世界は、より蕪村的になるに違いなく、「世界は遠く、その遠さに耐えるしかない」。カフカと蕪村は、「遠さ」というキーワードで結びつくだろう。
 あるいは、蕪村は、現代においてより現代的になるだろう。
 それはとても深刻なもののはずだから、もうそんなことは忘れてエロチックな句に時を忘れて浸ってみても、かまわないと思う。たとえば、鮒ずしの匂いをかぎながら。

  

◆「てにを、はっ。(4) さかしま銀河」:
橋本小たか(はしもと・こたか)◆

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