関西現代俳句協会

■2014年3月 青年部連載エッセイ

虚子と能(1)

中本真人



 青木亮人氏のあとを受けて、今月より中本真人が担当します。6ヶ月という短い期間ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 この連載では、高浜虚子を中心に取り上げたい。虚子という人物については、その生前より広く議論が展開されており、すでに相当な研究史を有しているといってよいだろう。虚子に教えを受けた門弟はもちろんのこと、直接虚子を知らない俳人・研究者によっても、長く虚子は論じられ続けている。今日までの虚子論の数たるや膨大である。もとより俳文学者ではない筆者にとっては、現在の虚子研究の水準を把握することすら難しい。特に近年の論考については、ほとんど読み切れていないというのが正直なところである。

 虚子を論じるにあたっては、いくつかの切り口が考えられよう。その切り口としては、まず俳句があげられるのは当然である。その作品はもちろんのこと、選句・俳論(俳話)についても、長く研究対象とされてきたといってよい。また、虚子が俳句と並行して生涯書き続けていたのは、小説(写生文)であった。特に明治末期、虚子が小説に専念していたのは、よく知られる通りである。虚子の小説については、まだ俳句ほども研究が進んでいないように思われるものの、近年少しずつ関心が高まってきているように思われる。今後も、特に漱石との関係を中心に論じられていく問題ではないだろうか。

 さて、虚子という人物を把握する上で欠かせないポイントが、実はもう1つある。それは、能だ。虚子が生涯能楽に関わり続けたことは広く知られていると思うが、具体的にどのように関わったのかについては、これまで深く追究されてこなかったのではないだろうか。

 虚子は、いわゆる専業の能役者ではなかった。それでは単なる趣味として能に親しんでいたのかというと、どうもそれも違うようである。虚子にとって、能とは何だったのか。また、能が、虚子に与えた影響はどのようなことが考えられるのか。従来の虚子論では、その点が落ちているように思われてならない。

 虚子の研究史の中で、決定的に欠けているのが能との関係であろう。なぜ能について論じられてこなかったのか。おそらく、能楽自体が一般に難解な芸能であることに起因しているのだろう。もっとも、日本の伝統芸能のすべてが、もはや現代人にとって容易に理解できない対象となってしまっているが。

 筆者は、能や謡を習った経験は全くない(能に限らず、一切の歌舞音曲の嗜みがない)。もちろん、これまで日本芸能史を専門領域してきた立場から、能楽についても絶えず関心を払ってきたが、とても虚子と能との影響関係について本格的に論じられるような技量は有していない。そこで、次回以降では、虚子と能との関係について、虚子の書き残したものを中心としながら、基礎的な資料の整理を試みてみたい。拙稿を1つのきっかけとして、虚子と能との関係に注意が及び、今後の議論の呼び水になれば幸いである。

◆「虚子と能(1)」: 中本 真人(なかもと・まさと)◆


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