関西現代俳句協会

■2014年1月 青年部連載エッセイ

関西俳句の今昔5
富澤赤黄男「詩歌殿」創刊号

青木亮人


 目次を見るだけで興奮する雑誌が、時に現れることがある。昭和初期「ホトトギス」は無論のこと、戦前の西東三鬼加入後の「京大俳句」や山口誓子参加時の「馬酔木」等が相当するだろう。これらの号は目次のみ読んでも飽きない。

 敗戦直後でいえば「現代俳句」(石田波郷編集)や「太陽系」(後述)、「天狼」(山口誓子)等も読みごたえがある。昭和40年代までの「俳句」「俳句研究」等の目次も面白く、同人誌時代の「海程」(金子兜太や林田紀音夫等)や「青」(波多野爽波主宰、前衛俳人や宇佐美魚眼、田中裕明ら多士済々)も捨てがたい。昭和61年創刊の「俳句空間」も凄かった(特に創刊号目次は1980年代最強のラインナップだったと感じる)。

「詩歌殿」創刊号表紙
      創刊号表紙

 これらの中でもひときわ光芒を放つ俳誌がある。それは敗戦後まもなく刊行された「詩歌殿」という雑誌だが、ご存じだろうか。

 創刊号は昭和23年9月25日に発行され、編集者は富澤赤黄男、発行者は水谷砕壺が任じた。発行所は「大阪市東住吉区平野西之町二四六ノ三 太陽系社」。すなわち、「太陽系」――昭和21年創刊、「旗艦」等の大阪新興俳句系の俳人に富澤赤黄男、秋元不死男らも参加した――に関わった砕壺・赤黄男コンビが新たに立ち上げた俳誌だったことがうかがえる。

 この雑誌が凄いのは、俳句の他に戦前以来の錚々たる詩人や歌人が多く名を連ねる点であり、その充実ぶりは類を見ない。下記は創刊号の全目次である。

 評論
  詩の幽玄・・・・・・・・・・・・・西脇順三郎
  与謝野晶子論・・・・・・・・・・・吉田精一
  短歌と肉体・・・・・・・・・・・・木俣 修
  俳句とジャーナリズム・・・・・・・三谷 昭
  バベルの塔・・・・・・・・・・・・高柳重信
 詩
  Ardente ・・・・・・・・・・・・・小野十三郎
  絵はがき・・・・・・・・・・・・・大島博光
  押入れの中の星・・・・・・・・・・竹中 郁
  山びこ・月匂う・・・・・・・・・・近藤 東
  半熟の卵・経営・・・・・・・・・・安西冬衛
  橋・・・・・・・・・・・・・・・・北園克衛
  たそがれの薔薇園・・・・・・・・・衣巻省三
  彼方・・・・・・・・・・・・・・・三好豊一郎
  暗い火・・・・・・・・・・・・・・菱山修三
 俳句
  作品現世・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏
  妻の手・・・・・・・・・・・・・・石橋辰之助
  万感・・・・・・・・・・・・・・・橋本夢道
  早春・・・・・・・・・・・・・・・大野林火
  胸底・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
  坂百景・・・・・・・・・・・・・・横山白虹
  薔薇ちさし・・・・・・・・・・・・高屋窓秋
  花束・・・・・・・・・・・・・・・瀧 春一
  春の地球・・・・・・・・・・・・・栗林農夫
  波濤・・・・・・・・・・・・・・・甲田鐘一路
  朝・・・・・・・・・・・・・・・・有馬登良夫
  母の家・・・・・・・・・・・・・・安住 敦
  牡丹の夜・・・・・・・・・・・・・日野草城
  見知らぬ夜・・・・・・・・・・・・本島高弓
  漂蕩・・・・・・・・・・・・・・・富澤赤黄男
  火花・・・・・・・・・・・・・・・水谷砕壺
 短歌
  春塵抄・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿
  光・・・・・・・・・・・・・・・・筏井嘉一
  我が体温・・・・・・・・・・・・・橋本徳壽
  十章・・・・・・・・・・・・・・・坪野哲久
  韮の芽・・・・・・・・・・・・・・中野菊夫
  孫夏実を悼む・・・・・・・・・・・松田常憲
  病みて・・・・・・・・・・・・・・近藤芳美
  金と石・・・・・・・・・・・・・・五島美代子
  檻の犬・・・・・・・・・・・・・・宮 柊一

 凄いとしかいいようのないメンバーであり、同時に編集者の富澤赤黄男の趣味に叶った面々ともいえよう。

 俳句に目を移すと、評論では高柳重信「バベルの塔」が注目される。俳句史的には桑原武夫「第二芸術論」への反駁として著名だが、実際に読むと高柳がいかに「俳句」を愛していたかが――それも有季定型と新興俳句双方を――うかがえる。

 高柳の「俳句」に対する愛を踏まえた時、次の一節が痛切な響きを帯びていたことに気付くだろう。

 新興俳句は新しい辞書を購入しただけであつた。(略)いぢらしい程に感傷的で善良な、そして無思想な小市民の愛情、彼等の考へてゐることは人間性の徹底的な追及でもなく、人間の可能性の探求でもなく、それはせいぜい人情味とか人間味といふ俗語で言ひあらはせる世界に過ぎないのである。花鳥諷詠にかはる人間諷詠ないし人情諷詠である。(高柳「バベルの塔」)

 戦前の新興俳句を愛し、その可能性を追究しようとした高柳の眼に映ったのは、戦前に「花鳥諷詠」を颯爽と否定した新興俳人たちが敗戦後に「人間」を声高に叫ぶ姿であった。高柳にとってそれは苦々しい姿であると同時に、無下に否定することもできない存在だったのだ。

 ところで、「詩歌殿」に掲載された俳句はどのようなものだったのか。各俳人を一句ずつ見てみよう。

    立春の雨やむ群ら嶺雲を座に         蛇笏
    木木の芽総だち妻の目も美しき情うごく    無道
    影は部屋と春日こぼさぬ果樹のもと      林火
    人の背へ紙屑はしり冬の虹          楸邨
    石段に蝶が息する泡だつ海          窓秋
    ストップされたうしろひしひしと人みなぎる  農夫
    台風去りつゞきを塗つてゐるペンキ屋     登良夫
    兄妹の蝌蚪育つべき瓶二つ          敦
    砂日傘男の胸に乳房なし           草城
    夢白し 啄木鳥はたゞ木を啄く        赤黄男
    石刻む鑿の火花を眉間にす          砕壺

 一句ごとの詳細は省くが、これらの句群には戦前の新興俳句運動を継承した「天狼」(関西が拠点)や昭和30年代の関西前衛俳句の雰囲気とも異なるエコールが感じられる。

 おそらく、編集者の赤黄男が夢見た「詩」が背後にあるためだろう。「詩歌殿」創刊号の後書きには次の一節が掲げられている。

    あ と が き

   たゞひたすら詩のために
   詩 短歌 俳句 の進化のために

        富澤赤黄男
        水谷 砕壺

 現代俳句協会や俳人協会云々という話題が交わされる前の、敗戦直後の絶望や夢、混乱や希望が渦巻く時期に刊行された「詩歌殿」。そこには、戦前新興俳句で最高の才を有した富澤赤黄男の目指す「詩」の姿があった。

 その「詩歌殿」は、大阪から出版された。関西で俳句に携わる人々の誇るべき記憶とはいえないだろうか。

 ※後半「あとがき」の引用部分、字間等、原文ママ

◆「関西俳句の今昔5 富澤赤黄男『詩歌殿』創刊号」: 青木 亮人(あおき・まこと)◆


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