第一回「五・七・五の世界」主 催 関西現代俳句協会 日 時 平成二十二年十一月十五日(月) 会 場 中央電気倶楽部(大阪市北区) (宇多喜代子現代俳句協会会長と豊田都峰関西現代俳句協会会長) 関西現代俳句協会では「五・七・五の世界」と題し、年四回の俳句講座を計画した。 この講座は俳句の初歩を学びたいという初心の方、もっともっと俳句を学びたいという中級の方のための講座である。 講師として、この講座の提案者でもある宇多喜代子現代俳句協会会長と豊田都峰関西現代俳句協会会長をお迎えした。 第一回俳句講座「五・七・五の世界」は会場を埋め尽くす一〇四名の参加を得て、成功裡に終了した。各講師がそれぞれ九十分、質疑応答を含め、午後一時から五時まで四時間にわたる熱気溢れる講座であった。 第二回〜第四回は平成二十三年二月十四日、五月九日、九月十二日に予定している。 豊田会長は@五音七音の音歩論的分析にはじまりA万葉集B古事記C片歌・和歌D短連歌・長連歌・俳諧と話を進め、まるで大学の講義を受けているようであった。俳句の詩形を学ぶに、音歩論の原点から俳句の本筋へと導いてくれた。 俳句は五七五七七であった形の尾をちぎられて、五七五という未完成な形になった。ちぎれた七七に余韻・余情を残しておくことにより、余計な説明をしないですむ。 俳句の勉強は、先ず結社に所属して先生の指導を受ける。模倣という手段もあるが、一字一句違わない作品を意図的に詠むのは困る。 E類想句について、 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規 鐘つけば銀杏散るなり建長寺 叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな 夏目漱石 叩かれて蚊を吐く昼の木魚かな 降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男 獺祭忌明治は遠くなりにけり 上記の句は「本歌取」の手法によるが、良い句を作った方が勝ちなのである。 俳句は未完成な形である。リズムに合いながら合っていない。たいへん短い形である。こう結ばれて、豊田会長の講演は終わる。 続いて、宇多会長は先ず現代俳句協会の創立について話をされた。協会の創立は昭和二十二年であり、会員は石田波郷・西東三鬼・加藤楸邨・日野草城・山口誓子等三十八名。昭和五十年代に千人を超え現在に至る。昔は何人かの推薦人が必要で、なかなか入会出来なかった。 次に、西東三鬼の残された資料を基に、三鬼の言う作句のポイントについて話された。要約すると、 @俳句の基本は原則として「有季・定型」である。無季・自由律等については今後の課題としたい。三鬼の作品世界は終生多面体であった。 おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼 水枕ガバリと寒い海がある 〃 A俳句は風流なものという先入観に捕われてはいけない。 B生きている実感、感動のポイントを詠む。 一湾の潮しづもるきりぎりす 山口誓子 無花果を食ふ百姓の短かき指 〃 「無花果・百姓・短かき指」という最も強く印象に残った所にポイントを絞り、不必要な素材は切り捨てる。俳句は引き算で詠む。 C自他ともに共通する雄大なものを詠む。 D取合せは反対の事物の配合が面白い。 中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼 E作句力をつけるには、読句力をつけること。 F最高の指導者につき句会に出る。人前に晒す。一点も入らない句はどこかに欠陥がある。 G即物具象は来し方を再現させる力がある。 H俳句は短いという意識を強く持つこと。 省略が佳句の出発点である。 芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏 雲の峰幾つ崩れて月の山 松尾芭蕉 「芋の露・月の山」等は省略の最たるもの。 I何をどう句にするかは感性の問題である。 J場所の限定はしない方がよい等々。 人は何故俳句を作り続けるのだろうか。人間には自己表現の欲望があり、俳句は心の拠り所となっているようだという三鬼の考えに同感する。 明治四十二年にすでに「俳句の作り方」という冊子があった。宇多会長と親交のあった中上健次と文学、健次の俳句感、石井露月と子規のこと等、多岐に亘る内容であり、俳句の基礎を学ばせていただいた。 (桑田和子 記) (豊田都峰関西現代俳句協会会長の講義) (宇多喜代子現代俳句協会会長の講義) (聴衆の方々 その1) (聴衆の方々 その2) |