2025年7月のエッセイ
久保純夫の代表句
森谷一成
水際に兵器性器の夥し 久保純夫
俗に火砲は男根の象徴とされ、その両方が水際に蝟集して合戦の時を待つ。
軍に引っぱられた男性集団の悲惨なる滑稽、あるいは滑稽なる悲惨を、兵士の目線で詠んだ純夫の代表句である。
ノルマンディーや硫黄島など歴史上の決戦ばかりではない。
たとえば、現在の日本を見ても、要塞化する南西諸島に配置される自衛隊の基地、あるいは中東やアフリカの駐屯地や海上の艦船においても、兵器と若き男性器がきゅうくつに入り乱れているのではないか。
戦時下、対馬要塞へ召集された新兵の教育期間を描いた大西巨人の全体小説「神聖喜劇」に以下のような件りがある。
《湯気の中で、男根の密集が、てんでに勝手な方向を向いてひしめいた。(中略)「私は女陰なきを憂うる。男根なきを憂えない。軍隊は男根所有者の多きに堪えない。」とでも表現せられるべき感慨を、ここで私は、強いられている。》(第一部 絶海の章))
これは軍隊生活のまぎれもない実況であろう。ちなみにこの小説の結末は、その「女陰なきを憂うる」に因果する。
ところで、掲句が表現するのは近現代戦の表象であろうか。
否、「兵器」を槍状の武器とみれば、自国史においても、川中島、元寇、防人、白村江と遡ることができる。
世界史では、はるか紀元前のペルシャ戦争やペロポネソス戦争、また後漢末の赤壁の戦いに思い至る。
すなわち国家=常備軍の成立とともにあり、領土、資源、奴隷をめぐる奪い合い、征服と隷従を賭けた最前線における兵士たちの愁嘆場を、邪悪な人間集団の文字どおりの局部を、掲句は醒めた諧謔をもってえぐってみせた。
それはまた戦場における性暴力や慰安婦の問題へとつらなる。
俳句で、ここまでの深淵(有難くはないが)を書くことができるのかと唸ってしまう。
また無季俳句の力を見せつけた意味でも傑作であろう。
また作者の、エロスをテーマに書き続けてきたエネルギーが、抑圧された男根を憐れみ、抑圧する何者かに怒りを静かにぶつけるかたちで掲句に結晶した、という読み方もできる。
(以上)
◆「久保純夫の代表句」:森谷一成(もりたに・いっせい)◆