関西現代俳句協会

2025年4月のエッセイ

お菓子

小枝恵美子

 私は毎日のようにお菓子を食べて、毎日体重計にのるという、訳の分からない日々を送っている。
 ある日のこと、友人たちと『蕪村句集』を読んでいたら、小豆の句が出てきた。

    やぶ入りの夢や小豆の煮えるうち    蕪村

 藪入りは、正月十六日前後、奉公人に一日の暇を与えて 実家に帰すことである。
 久々に実家に帰りほっとしたのか、うたた寝をしている。
 その夢は親元で過ごした子供の頃の楽しい夢かも知れない。
 母親の心づくしの小豆の煮える匂いが漂い、つかの間の安らぎが愛おしく感じられる。
 この句を鑑賞しながら、Aさんは「小豆だからぜんざいかも」と言った。
「いやぁ、たぶん小豆粥でしょ」とBさん。
『蕪村全集』には、小豆が煮えるまでとあるだけで、具体的な説明はない。
『蕪村全句集』では小豆粥を煮てくれている、とある。
 子どもを奉公に出す家だから、それほど裕福でもないだろう。
 私たちは小豆粥で納得した。

 しかし「いつから砂糖を使った菓子類ができたのか」という話になった。
 江戸時代の百科事典、『和漢三才図会』には、白砂糖、氷砂糖、黒砂糖、石密とあって、すべて外国から渡来し、長崎を経て全国に広められたとあるが、日本の産地は記されていない。
 江戸中期頃の砂糖はすべて舶来品であり、貴重品であったことがわかる。
 白砂糖の製造は1700年代末からで、宝暦から天明の頃にはあったようだから、蕪村の時代には出回っている。

 江戸時代に美味しそうなお菓子の句はないかと探したら、南蛮菓子を詠んだ句を見つけた。
 それは園女の夫、一有が刊行した『明烏』(貞享2年)に、記載されている。
 作者は「女」と記してあるだけだ。
 たぶん園女であろうと言われている。
 但し、『蕉門名家句集』の園女の発句の中には記載されていない。
 貞享5年に芭蕉に入門したので、それまでの句は載せなかったのかも知れない。

    桜さへいやしくなりぬ花ボウル      女

 桜を見ると、つい美味しい南蛮菓子の保宇留(ほうる)が欲しくなる、という句意だろう。
 桜から南蛮菓子を連想し、外来語で「ボウル」と詠んだところが新鮮だ。

 南蛮菓子は安土桃山時代に輸入されて、金平糖は信長も食べている。
 そう言えば「蕎麦ほうる」というお菓子が今でも売られている。
 砂糖を使った南蛮菓子はとても美味しかったに違いない。

 さて今年のお花見は、どんなお菓子を持って行こうか楽しみだ。

(以上)

◆「お菓子」:小枝恵美子(こえだ・えみこ)◆

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