関西現代俳句協会

2024年8月のエッセイ

出合った句、出逢った人

三田陽子

    熊の出た話わるいけど愉快    宇多喜代子

 さすが宇多先生、笑えます。俳句は自分の中の意地悪な部分を吐き出す効能があり、すっきりします。
 長いつきあいの句友なら、痛いところを突かれても笑ってすませます。句会が長続きするのはその一種の友情が必要です。

 私は関東から関西に嫁いで来て、友達を求めていました。私は一応文学少女でしたから、俳句なぞ簡単に出来ると思っていました。
 はじめは詩のようなのを出して点が入らず、打ちのめされました。何しろ

    若葉酔いですコーヒーはブラックで

なんていうのを得々として出していたのです。少しずつまわりを見て俳句を学びました。
 私の入った句会がその頃前衛として時めいていた赤尾兜子につながりがあり、現代俳句への道がひらけました。

    六千万年海は清いか鯨ども    成田三樹夫

という句もすんなり受け入れました。作者は俳人ではなく俳優です。
 風天の寅さんも

    芋虫のポトリと落ちて庭しずか

と句集もありファンが多い。

    夏みかん酸つぱしいまさら純潔など

と言い捨てた鈴木しづ子さんは忽然と姿を消しました。
 忽然と姿を消す――あこがれます。

 京都三条通りにマンションをお持ちの句友もありました。やんごとなきお生れで生家の庭に茶室があり、 「何とかしなけりやね」とおっとりとおっしゃいました。それからすぐに亡くなりました。

 この年になると当然のことながら訃報が届きます。

    死ぬはずの無い人が死んで雪      陽子

 この人は女性についてあれこれあった人で、お葬式も無い終りは不思議でした。今句友をしている仲間と街で逢うような気がすると話します。

    死んだ人らと汽車を待つ

というのは誰の句だったか。これからそんな空間をただよってゆくのが私の余生なのでしょう。

(以上)

◆「出合った句、出逢った人」:三田陽子(みた・ようこ)◆

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