2023年7月のエッセイ
象の位階(従四位)
内田 茂
私が住んでいる家から徒歩15分くらいの所に、シガゾウ(滋賀象、学名:ムカシマンモス)の門歯(牙)が発見された遺跡がある。
130万年前のものと推定されており、奈良県の天然記念物に指定されている。
山深い所を想像されるかも知れないが、周囲は住宅街で山は疎か、古墳以外に、自然の森さえ近くにはない。
当時、ゾウは北海道から沖縄まで幅広く、8種類が生存していたようなので、何処で化石が発見されてもおかしくないが、約2万年前、この国から絶滅している。
現代種の象は、アフリカゾウ、アジアゾウの2種で、日本には象がいないにも関わらず、日本語に「きさ」という古称が残っている。
秋田県の「象潟(きさかた)」という地名がその例だ。
これは、仏教の影響で古くから象の存在が知られており、猪が象に乗った普賢菩薩に化けて僧を誑かす逸話があるほか、『鳥獣人物戯画』には、長い鼻や太い足、牙など象の特徴をよく捉えた絵が描かれている。
中世以降も、珍しさも手伝ってか、人為的に渡来した象の記録が結構残っている。
文献上、この国へ象が渡来したという最初の記録は、室町幕府の将軍足利義持への献上品として、福井県小浜市に上陸したというものだ。
その後も大友宗麟、豊臣秀吉、徳川家康の献上品として、次々に象が上陸している。
その中で最も詳しい記録は、江戸幕府八代将軍徳川吉宗への献上品としてベトナムからオス・メス2頭の象が渡来したというものだ。
メスは3か月後、上陸地の長崎で死亡したが、オスは、陸路江戸に向かう途中、京都で中御門天皇の上覧の栄に浴している。
上覧には位階が必要ということで、何とこの象に「広南従四位白象」の位と姓名が与えられている。
従四位といえば、徳川譜代大名のうち重役に昇る者、外様大名のうち十万石以上の国主が叙せられる程のものというから驚きだ。
この象を取り巻く人々も慌てたようで、急遽、位階のお礼に天皇の前でお辞儀をさせる調教を行った。
ところが、上覧の日、この象はお辞儀をするどころか、象のトランペット音と言われる「プオオオー」と吼えた。
象を下がらせた象使いたちは、お咎めあるものと恐懼、平伏していたが、お咎めどころか逆に褒美が下賜されたという。
公卿たちは、鼻を上げるという行動を貴人に対する称揚行為と解したようだ。
この話は早馬で江戸表に伝えられた。江戸での上覧の日、吉宗をはじめ重臣たちは江戸城大広間で、象が「プオオオー」と吼えるものと辛抱強く待ったが、ついに吼えず、逆にお辞儀をした。
吉宗らは大いに落胆して象を下がらせたらしい。
この象、しばらくの間、浜御殿で飼育されていたが、飼料代がかかり過ぎるということで、農民に払い下げられたようだ。
倹約を旨とする享保の改革イメージを実践したということだろうが、江戸の雀たちは、飼料代が嵩むので手放したというのは幕府の公式見解で、「プオオオー」と吼えなかっこの象を吉宗が疎んだのでないかと囁いていたようだ。
麦秋や江戸へ江戸へと象を曳き 高山れおな
梅雨冷の象舎に帰る象の尻 内田 茂
(以上)
◆「象の位階(従四位)」:内田 茂(うちだ・しげる)◆