関西現代俳句協会

2023年4月のエッセイ

俳句放浪記

中村聰一

 放浪記と言えば林芙美子の名が浮かぶが、読み物としては阿佐田哲也の麻雀放浪記が断然面白い。
 テレビには、吉田類の「酒場放浪記」があり、楽しみにしている。
 類さんは、イラストレーターであり、山を愛し、酒を愛し、かつ俳人である。同好の士として、「~放浪記」を拝借した。
 さながら「俳句浮浪者」、「俳句風来坊」である私は、俳句歴十数年にもかかわらず、未だ俳句の何たるかを把握しえずに居る。
 それではならじと、私なりに俳句の解剖を試みた。それが以下のチャートもどきである。俳句だけでは淋しいと他のジャンルにも応援を乞い、気儘に升目を埋めさせてもらった。
 俳句にはそれぞれの面構えがあり、何処に着席してもらったものかと苦心したが、むしろこれを利用して、大修整してもらったら有難い。面白い図柄が出来るかも。

 怪し気な解剖出が出来てしまった。されば私はどんな俳句が詠みたいというのか。口幅ったいが、この世のものでないような物を創りたい。
 俳句の王道である、オーソドックスで、写実的な手合いの俳句は既に詠みつくされている。そういう現世的俳句は、二次元的範疇を出ない。俳句が延命できるのは、深層への旅しかないように思う。

 俳句へのアプローチに遠慮なぞ禁物。私は敢えてそこに迷い込もうとしている。まさに酩酊寸前。「俳句放浪」ならぬ「酒場放浪」。
 はてさて、今夜は何処を放浪しようか。バッカスと遭遇するか、アポロに翻弄されるか。

(以上)

◆「俳句放浪記」:中村聰一(なかむら・そういち)◆

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