関西現代俳句協会

2023年2月のエッセイ

スマホの世なれど蠅には蠅叩き

塩野正春

 昭和19年3月、山形県米沢市で生を受け、終戦直前の貧しい暮らしを体験しました。「啓蟄やかくも難儀な世と知らず」。
 俳句を始めたのはサラリーマン生活の晩年も近い40才過ぎ、理系の学生学者達の集まる居酒屋で語り合っていたのですが、俳句でもやろうかと誰かが言い出しこの道に入った次第。もう化石となりし年、俳句の界の深みに入り込み、今は三田海原(若森京子師匠)で騒いでいます。

 高度成長期のさなか、どうしても伝え残したいのはビジネス社会での急速な変遷です。俳句からちょっと離れた視点で綴ってみます。外資系の会社で長らく働いた私は外国から手紙で仕事の指示を受け、一週間も過ぎたころ返信して一件落着、なんというのんびりした世界と思っていました。当時大型のアナログ計算機、手回し計算機や計算尺が主流で筆記用具は紙と鉛筆、どうやって日々を過ごしたか思い出せません。

 小型のパソコン(といってもブラウン管式でバカでかいやつ)が出現したのは大学を卒業して5年ほどしてから(1970年ごろ)です。 カーソルをカタカタ動かし、特別の記号(ドットとかいうやつ)を打ち込んで画面を出すやつです。ところが直ぐにヌーベルバーグがやってきました。IBMが音の少ないマウス(形が鼠のしっぽ)付のパソコンを発表し、これが今後の世を変えてしまいました。カーソルの移動がマウス操作で簡単にできるようになりました。
 東芝の一太郎が市販され、字の下手くそな私は飛びつき、講師の女子社員が神様に見えたものです。
 半面、華麗な字を打ち出す和文タイプが姿を消しました。パソコンのキーボードの並びはその頃から変わらず現在に至ってます。

 事務機と言えば音を出すものと決まっていましたので、リズミカルに手紙を打つ秘書さんが素晴らしい存在でした。手でタイプライターのバーを戻すリズムがなんとも眠りを誘います。
 手紙や電話に代わる通信手段の“テレックス”が年中音をたてているオフィスは仕事が有って且つ忙しい職場の象徴でした。 ところが数年のうちに新しいタイプライターが開発され、Helmesなどのように活字を拾うのではなくミラーボールのように活字の付いたボールを回転させるタイプになりました。
 このタイプライターは音も少なく高価で部門ごとに1台ほどしか割り当てがなく、秘書さんたちが争って欲しがりました。しかしパソコンの出現はこれら秘書さんの仕事も奪いつつありました。

 事務機器の変化により仕事に速度が要求されるようになりました。インターネットやメールが出てきたのは更に10年たってから(1984年頃)ぐらいですね。
 手紙で海外とやり取りしていた時代は終わりました。
 前に述べましたが私の時代は海外に手紙を出して返事が来るまで2週間はかかりましたのでその間はのんびりです。懐かしい昭和の化石時代です。今はスマホやインターネットメールが大活躍ですがそのために労働環境が厳しくなったのは皮肉な結果です。
 瞬時に指示や返事が来るので忙しいことこの上なしです。ところで、あの古いワープロやファックスが今も活躍しているのが不思議です。ファンが多いですね。俳句の通信にもファックス欠かせない状態です。
 アナログ、侮るべからず!
 アナログとデジタルは今後も共存することとなるでしょう。アナログとデジタルを交えた名句「子規に触れ蓑虫に触れ国家論」(若森京子句集第7巻『臘梅』)を最後にご紹介いたします。

写真:私が使っていた手回し計算機と計算尺

上が手回し計算機。
右のバーを手前にまわせば引き算、割り算;反対に回すと足し算、掛け算で小数点を含め相当の桁数が計算できる。下の写真は計算尺で4桁ぐらいの計算が可能です。
写真の計算尺は化学系の学生向けのもので、簡単な分子式の分子量が目盛りされている。
下図は若森京子句集第7巻『臘梅』

(以上)

◆「スマホの世なれど蠅には蠅叩き」:塩野正春(しおの・まさはる)◆

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