関西現代俳句協会

2022年10月のエッセイ

「住めば都」

杉井真由美

 葛飾北斎は生涯に93回引越しをしたと言うが、日本人の平均引越し回数は2016年の人口移動調査によると3.04回だそうで、前回の1996年には3.12回なので少々減っているようだ。男女別で見ると、男性は3.06回、女性は3.03回で大きな差は見られない。引越しは北斎のように自ら望んで繰り返す場合もあるが、多くは人生の転機に伴うものであろう。

 私は京都市内に生まれ、父の転勤により小学校入学までに西宮市、尼崎市と2回の引越しを経験している。小学校入学以降は父が幾度か単身赴任を繰り返し、引越しによる転校を免れていた。住んでいたのは社宅と言う最近は少なくなった形態の住居で、先日近くに行く機会があり立ち寄ったが、阪神淡路大震災と長い年月の流れにより跡形もなく、その地には大型電気店が建っていた。

 大学生の時に京都市内に戻ってきたが、一人暮らしに憧れた私は通学可能だという親の反対で生活費の援助は受けずに、アルバイトをしながら大学近くで下宿住まいをした。卒業までの青春時代を謳歌したのであったが、母は相当心配していたようである。

 卒業後は京都に戻り、就職をして自宅通勤後、結婚をして家を出る事となった。どこに住むかは働き続ける上で重要なポイントであり、夫の勤務先は西宮市で中間地点の高槻市に住む事にした。(京都寄りなのは力関係か?)高槻市内で子供の成長に合わせて2回引越しをし、最後の引越しは私自身の単身赴任で舞鶴に。両隣等が海上保安庁の職員でなぜか心強く感じたが、東日本大震災の時に連絡を取る必要があって、携帯電話にかけたら、仙台沖だと言われて恐縮したものであった。雪掻きも経験し、雪国の生活の大変さを少々味わい、2年間の単身赴任を終えて高槻に戻ってきた。今後は今のところ転居の予定はないが、終の住処は老人ホームを選択するかもしれない。

 生涯の転居回数は近畿圏内という狭い範囲内ではあるが、既に10回となり、平均回数大きく上回っている。一方で「ふるさと」と言える地がないのは寂しい気もする。「田舎は~」と懐かしそうに語る人を羨ましくも感じる。そうは言っても振り返れば思い出が次々と甦り、当然良い思い出ばかりではないが、時々思い出の土地、人を訪ねると何故か懐かしく根無し草のような私にも「住めば都」と思えるのは幸せな事だと今は思っている。

 転居を繰り返した葛飾北斎は、転居が要因ではないにしても、その芸術性を高めていったが、平均回数を大きく上回る転居を経験した事により、作句の上で各地の風景、歴史等を振り返りつつ、自分の中で言葉を紡いでいけたら良いなと考えている。

(以上)

◆「住めば都」:杉井真由美(すぎい・まゆみ)◆

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