2020年11月のエッセイ雪国と酒粕村田あを衣
4、5人のグループと記憶語りを話題にした事があります。どの頃から記憶を覚え始めているか、語り合い、2歳、3歳の辺りのあやふやな記憶の原点の糸口を捜しながら、時代の背景や、環境によりまちまちの思い出話に興味津々、童心のひと時を過ごしました。 私の記憶は3歳の頃、周囲の景色が真っ白で、雪がしんしん降る村で過ごしていた事からだと思っています。父の勤務の為、京城で生れた私は、2歳の頃結核(幼児結核)と診断され、母と私は療養のため帰国し、母の古郷へ身を寄せていました。丹後の口大野という雪深い所でした。 感染の理由で近所の子供達と遊ぶ事はできなかったが、淋しさは無かったと思います。 祖父は村長をしており、結構、人の出入りも多く、又、村の丹後ちりめんの織元で、京庄、丹後の店との行き来もあり活気ある家でした。 ある時、雪の季節でしたが、味噌汁が私だけ皆と違うのを不思議に思っていましたが、お手伝いさんが台所の壺の中から酒粕(私には何か分らなかったが)を出し、味噌汁を作るのを見つけたのです。 後日、私はこっそり壺の酒粕を少し食べてみたのでした。どの位食べたのか、それこそ記憶は全く有りませんが、その夜から3日3晩原因不明の発熱が続き、母をはじめ、家族の人達に病気からではと大変心配をかけてしまいました。 3歳児にして、人生で一番厳しく叱られた記憶です。幸、今では私の大好物となっています。 余談ですが、母の京都の女学校時代の親友が、俳句雑誌「京鹿子」の句会で一緒になり、宝酒造の当時会長夫人でしたので、何時もしぼり立ての酒粕(厚さ10センチ、30センチ四方)を戴いておりました。当時の主宰の丸山海道先生も粕汁が大好きで、句会で話題になった事もありました。冬になると粕汁を作りながら、3歳の頃の雪籠りの日と酒粕事件を思い出しています。 (以上) ◆「雪国と酒粕」:村田あを衣(むらた・あおい)◆ |
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