関西現代俳句協会

2018年6月のエッセイ

兜太氏と秩父の思い出

桂 凜火

 2017年4月、秩父の荒川の河原には、諸喝采が群れ咲いて、いつものように秩父の養浩亭で「海程」恒例の俳句道場が開かれていた。2日目午後、金子兜太氏、宇多喜代子氏、池田澄子氏の3人の鼎談。テーマは「戦争体験と平和と俳句について」であった。

 池田氏が、「玉音放送の後、母が当時8歳の私にね『負けたんじゃあ、父ちゃんは犬死になっちゃったね』とつぶやいたんです」と語られると兜太氏は、「零戦が毎日のようにグラマンの機銃掃射で撃墜されていた。

    朝始まる海へ突込む鴎の死      兜太

その時の光景が頭に入っていて、銀行員をしながら、俳句で生きようと決意した時の俳句」と話された。

 宇多氏が、「戦争とは父や夫や恋人が殺されるもの、要するに『人殺し』。許されることではないです」と語られた。

 シビアなお話だったが、それぞれにユーモアたっぷりの語り口で、若い人からも質問が活発に出て、言葉たちが屹立するような濃密な時間だった。

 2階にある会場の窓から風にあおられた桜が、吹雪のようにときおりどっと散るのが見えると、たくさんの人の口から、「うゎあ~」という声が漏れる。

 みなさん3人の話に夢中なのだけど、桜の美しさにも感嘆する。この感受性は、さすが俳人たちの集まりだと妙に感心した。

 当日の兜太氏は、思ったよりもお元気そうで大はしゃぎのご様子。その時間と空間の交わりの一点にいることが、なんだか贅沢で夢の中の光景のようだったことを鮮明に覚えている。

 1月後の5月、秩父での全国大会で「海程」の終刊が兜太氏から告げられた。参加者の中にどよめきのような動揺が走った。いよいよ来るべきものがきたと思った。しかし、その時は、まだ、こんなに急に兜太氏とお別れすることになるとは思いもよらなかった。

 数年前、同じく秩父での夏、句ができなくて、河原の石に糸トンボが止まったり、離れたりするのを2時間ばかり見つめながら川音に耳を傾けていると自分はこの中の石になれるかもしれぬという思いに捕らわれたことがある。兜太氏が愛してやまぬ秩父には、そんな夢みたいなことが起こりそうな空気が充満している。最晩年の兜太氏は、秩父の親玉みたいで。人間なのだけど、どこか人間離れしていて、いきものの力や土の匂いの大切さとともに尿瓶や糞(まり)の話がちっとも野暮じゃない不思議な魅力を放っておられた。

 「海程」の新人賞をいただいた表彰式の時には、「凜火はというのは、キツイね。凛子がいい」と言われた。また、表彰状代わりにと兜太氏が、ご自分の句の中から受賞者のイメージに合う句を選んで、色紙に書いたものを下さるのだが、その色紙には

    じつによく泣く赤ん坊桜五分

と書かれていた。本性を見透かされたようでドキリとした。兜太氏は、いつもおちゃめで、少年のような明るさで海程の会員に接してくださったと思う。

 「海程」のあとを継ぐ「海原」の刊行には、秩父でまた再会し、お祝いの言葉をいただけるはずだったのにと残念な気持ちもあるが、兜太氏には、十分にできる限りのものをわたしたちに与えてくださったことに感謝したい。 冥福をお祈りするとともに、与えていただいたものを大切に育てたいと思う。

    蕗の傘差しつ黄泉往く兜太少年    凜火

(以上)

◆「兜太氏と秩父の思い出」:桂 凜火(かつら・りんか)◆

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