2018年2月のエッセイ
わたしの俳句観
平田繭子
俳句は素晴らしい!
たった十七音で、絵も描けるし写真も撮れる!花も生けられる!
詠いたい対象の切り方で芸術作品が生まれるのだ!
今年私は数えで古希を迎えた。
俳句を始めたのは29歳。私の人生の半分以上も俳句に携わってきたことになる。
子どもの頃から何事にも興味を持ち、色々なことにチャレンジをしてきた。 例えば、英会話、絵画、陶芸、写真は自分で現像焼き増しもしてきたし洋裁、編み物、もちろん茶花道も楽しくやって来た。
ではどうして俳句に係わったのかと言うと、私の祖父や母も俳句をしており、祖父は昭和の始め家で句会をし、句誌の編集もしていたと言う。
学生の頃、母から俳句を勧められたが、英語にかぶれていた私は聞く耳を持たなかった。
が、結婚をして同居をしていた主人の母が豊長みのる先生を講師に招き、家で句会をしておられ、姑から俳句を勧められると素直に作句をしてみようと思った。
以後、自身のこころを投影出来る俳句の虜となり、西に東に吟行に出掛け俳句を作った。
その究極は「鳥取砂丘」と言える。
師から「砂丘には砂の粒ほどの対象がある」と教えられた時、私は「俳句はこころだ!」と実感した。
何も無い砂丘に詩心を奪われ、炎天の日も雪の日も時間を作ってはバスに乗り、一人鳥取へ向かった。
雨の中でも三時間は砂丘に坐し作句に勤しんだ。
砂に寝てとほき潮騒浜晩夏 繭子
穢れなき夜更けの砂丘星流る 〃
露の旭やいま大砂丘動くかに 〃
大砂塵冬の砂丘は人入れず 〃
春しぐれ砂丘馬の背潮臭し 〃
そして、「俳句はこころ」と気付いた私は今、留まることなく未来へと動き続ける大宇宙に魅せられている。
天をめぐる神話の星座闇涼し 繭子
天に銀河地に大川の流れをり 〃
寒昴虚空冷たき闇を張り 〃
北斗の柄折れて春潮溢れたり 〃
たった十七音で宇宙をも詠える俳句の魅力!
俳句は素晴らしい!
自然と出遭え、人とも出会える俳句。
私は人生において出会える人たちは宝だと感じている。私には沢山の宝がある。良き師、良き友…。
自身を豊かにしてくれる俳句に出合えた喜びに今私は打ち震えている。
(以上)
◆「わたしの俳句観」:平田繭子(ひらた・まゆこ)◆