関西現代俳句協会

2017年9月のエッセイ

松 茸

西原和孝

 僕の住む隣の地区に松茸長者がいた。
 「生えくさって、生えくさって・・・」という口癖が語り草となっている。 数十町もの山を持ち、松茸の頃になると毎日のように山へ入り、山一つ越えた八百屋へ売りに出かけていた。

 僕の村でも、松茸が生えた。道ばたで何となく山裾へ眼をやると発見するぐらいよく生えた。昭和30年代の頃であろう。当時は当然ながらそんな貴重なものとは思わなかったし、今のように殆どと言っていいほど生えなくなるとは夢にも思わなかったのである。

 焼き松茸は、ちょっと醤油をつけて食うと絶品であったし、松茸のお吸い物、すきやきや松茸飯も何とも言えない風味、香味があり、これまた旨かったのを子供心に覚えている。今にして思えばなんと贅沢な味を堪能した時期があったのだなとつくづく思う。

 我が地区は、6つの隣保に分かれていて、僕の住む隣保は小さいながらも共有林を持っていてそこに松茸が生えた。規模は三田や篠山、丹波などといった松茸どころには到底およばないが良質の松茸が生えた。年5回の伊勢講があって、10月の伊勢講で松茸山の入札を行うのが習わしであった。ほんの十数万円程度のものであったが、毎年楽しみであった。入札は酔っぱらって、単位を間違って入札したり、冷やかし半分で入札した者が落したりで楽しかったのを覚えている。その収入は、4年ごとに行われる伊勢参りの費用に充てていたのである。

 僕の家もときどき落札して松茸山を手に入れることがあった。よく生えた年があり、それで父が飯台を買った。随分と高かった記憶がある。その飯台は、家族団欒の場として今も健在である。正確に覚えていないが、昭和40年代半ばの頃であったように思う。

 最近の事だか、あるゴルフコンペは優勝からとび賞、BB賞等賞品のすべてが松茸であった。賞は本数で区別してあり、松茸が当たるというのでわくわくした。もちろんすべて外国産であったがなにかしら嬉しい気分になったものだ。

 我が隣保の松茸山は、3つあって一つは、全く生えなくなっていて、一つはゴルフ場になって何十年も経っている。あとの一つは今も細々と入札を行っているが、近年は殆どといっていいほど生えないようだ。

 松茸が生えなくなったのは、適切な時期に丁度良い気候が保たれなくなったこと、また、ガスや、電機などの普及によって、山へ入らなくなったことにより、自然と山の整備が出来ていたのに、それが出来ず今や荒れ放題となっていることなど、地球温暖化、里山の崩壊、松喰い虫による松枯れ等様々な要因があるといわれている。

 今や昔のような松茸山を取り戻すのは不可能だろう。いつしか荒れ放題の山々は、猪や鹿や熊などのように僕達が住むところまで襲い掛かってくるかもしれない。

    まぼろしの城の影来る茸筵   吉本伊智朗
    食へぬ茸光り獣の道せまし   西東 三鬼
    茸山の茸の孤独に囲まるる   三谷  昭
    爛々と昼の星見え菌生え    高浜 虚子

(以上)

◆「松茸」:西原和孝(にしはら・かずたか)◆

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