関西現代俳句協会

2017年7月のエッセイ

近頃、俳句に思うこと

米岡隆文

 昨年の12月3日、関西現代俳句協会の句集祭に拙句集『虚(空)無』で初参加をした。「藍」同人の森澤程さん(句集『プレイ・オブ・カラー』)、「杭」同人の前田霧人さん(句集『レインボーズ エンド』)と共に参加できたのが良かった。例年に比して句集参加が少ないとの事だが参加者の皆さんの句集への思いの話がとても勉強になった。

 1冊の句集を出すことは俳句人生の一つの区切りである。その後の俳句も少しずつではあるが変わってきているように思う。沢山の方々から電話FAX葉書手紙メールを頂き、返信に嬉しい悲鳴をあげるという貴重な体験をさせて頂いた。俳句人の横の繋がりが深まった。

 俳句は作者が第一の読者である。自らの句をどこまで読者として客観視し、推敲できるかが勝負だと思っている。次の読者は句会の参加である。句会で取られてこそ俳句である。極端を言えば句会で取られなかった句は俳句ではない。句会の大切さは選に懸かっている。選と選評こそが命。また披講という肉声を大事にしている点も句会の良さである。自ら発声することの大切さをこの頃沁み沁み思う。

 さて、私は60歳で小学校教諭を退職後、3年間、適応指導教室で不登校の児童生徒とマンツーマンで関わった。遊びやスポーツなどで心を通じ合うようにした。勿論学習もする。たまたま中学の現代国語を教えることになり教科書を開いて見て驚いた。季節の扉ごとに「俳句」が掲載され、独立した章立てでも「俳句」が取り上げられていた。が、芭蕉・蕪村・一茶の句も「俳句」として載っている。子規以降の俳句も載っているが、違和感を持った。江戸期の句は俳諧の発句であって「俳句」ではない。編集者はどういう意図であるのか。また現場の教師はどのように生徒へ伝えているのか疑問に思った。

 私の教職時代は担任を持てば「道徳」「特活」「総合学習」の時間に俳句を教えた。子ども達とも句会を開いた事もある。その時の例句に江戸期の俳人の句は示していない。近現代の俳人の句のみを示した。

 中学生と小学生では違うと思われるだろうが感性的には小学生の方が鋭い。子規以降が「俳句」と呼ばれるべきである。江戸期と現代では句会の持ち方や句のなりたちが違うと思う。江戸時代、句座を共にする事は互いの横の繋がりがあってこそ、即座に句を付けることができたと思う。子規は個としての自立に基づく句会を、近代的自我の発露をめざしたのではないか。

 現在私たちが句会と称して行っているものの大部分は、個々の句を同じ場で選をして繋がりができるものであって、共通の「読み」がない所では鑑賞しえない隔たりを持ってしまっている。勿論題詠なども行われてはいるが、それとて句作りのきっかけにすぎない。

 今や俳句人口は百万人ともいわれ、隆盛の勢いである。だが新興俳句や前衛俳句社会性俳句などというエコールとしての俳句はもはやない。不幸な事に俳句の世界だけがたくさんの協会にわかれてしまっている。短歌の世界の方がまとまっているように見える。ただし、短歌は歌会始がある様に起源からして庶民の文芸ではない。俳句こそが庶民の文芸である。私たちは俳句だけが唯一、官憲から弾圧を受けた歴史を持つ文芸であることを忘れてはなるまい。

(以上)

◆「近頃、俳句に思うこと」:米岡隆文(よねおか・たかふみ)◆

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