関西現代俳句協会

2017年4月のエッセイ

おいしいアニミズム

三好つや子

 私の住んでいる羽曳野は豆畑が多い。とりわけ、豆ご飯でおなじみのうすいえんどうの栽培が盛んで、4月には紋白蝶のような花が次々と咲き、とてもきれいだ。うすいえんどうの「うすい」は羽曳野の地名のひとつ「碓水」のことで、明治時代に地元の庄屋がアメリカの豆を植えて成功し、やがて全国に広がったのだとか。

 以前、わが家でもこの豆を育てていたことがある。舅がまだ元気で、家の前が空き地だった頃、10坪ほどのスペースだったが、家族で食べる1年分と近所に配っても余る位の量が取れた。  

 カレー、肉じゃが、ポテトサラダに欠かせないうすいえんどう。わが家で育てたものだから、特別おいしく感じられ、舅はとりわけ力を入れていたようだ。 11月に種を蒔き、立春の頃に支柱を立てる。暖かくなるにつれ、茎がぐんぐん伸びて葉を広げ、5月のはじめには莢がいっぱい成る。莢の中には6、7粒の豆が入っていて、1粒1粒ひすいのように光り、息をのむほど美しい。豆ご飯や卵とじにすると最高だ。莢がふくらんできたら、収穫のサイン。なので、ゴールデンウィークは家族で莢摘みに追われる。それが済んだら、豆を捥ぎ、ゆがいて冷凍する。目の回る忙しさだ。

 今だから懐かしく思い出されることだが、あの頃は連休なのに遊びに行けず、ムシャクシャしながら莢を摘んでいた。そんなとき、蔓の間からふいにカマキリが現れ、手の甲に止まった。秋とは違い、体長が10センチにも満たない、あどけない感じのカマキリだ。 

 けれども、当時、虫が苦手だった私は、あわてて鋏を落っことし、近所に聞こえるほどの大きな悲鳴を上げてしまった。

    かまきりの手だか脚だか豆の蔓

 後年、そんな体験をもとに詠んだ句が、海程誌の「秀作鑑賞」コーナーに取り上げられ、とても感激した。金子兜太主宰が提唱されておられる「生きもの感覚」を、私なりに野菜という身近な自然の中に見いだし、やっと詠むことができたのだろう。

 舅は豆以外にもキャベツ、じゃがいも、たまねぎ、トマト、ナス、白菜、水菜などの野菜を育てていた。おかげで、私はそれらが芽をだし、花が咲いて、実る過程を目にすることができた。土塊の素描のような新じゃが。今にも水が羽ばたきそうな水菜。俳句をはじめたとき、野菜畑で見たり感じたりしたことがよみがえり、作句に役立った。

 野菜を通して見えてくるものを17音にするのが、思いのほか私に合っていたのだろうか。産地を訪ね、畑を見せてもらったり、生産者に聞いたりして、言葉を紡いだ。最近、野菜の句はあまり作らなくなったが、私の原点はやはり土の香りのする俳句だと思っている。これからも、生きもの感覚を大切にしながら、自分らしいまなざしで自分らしい俳句を詠みたい。 

(以上)

◆「おいしいアニミズム」:三好つや子(みよし・つやこ)◆

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