関西現代俳句協会

2017年3月のエッセイ

小海線のおにぎり

大城戸ハルミ

 小海線―山梨県の小淵沢と信州の小諸をつなぐ高原鉄道。八ヶ岳や清里、佐久平、千曲川など車窓には美しい風景が広がる。学生時代のある日、その小海線に一人で乗っていた。旅の目的は思い出せない。

 昼どき、ぱっとしない風体の中年男が「誰か弁当を交換しませんか」と車内を回りだした。未知の人との出会いは旅の醍醐味だが、それは唐突な申し出であった。友好のしるしに飴をくれる「大阪のおばちゃん」の陽気さとも違う。素朴で切実な何かが、ぬっと差し出されていた。現代なら、怪しんで車掌を呼ぶ人がいるかも知れない。

 何人かに断られ、男はついにこちらへ来た。私は身動きできぬまま、どうしてか「はい」と答えた。人を見かけで判断してはいけないと善人ぶっていたか、邪険にする勇気がなかったか。たぶんその両方だったのだろう。

 男の弁当は握り飯だった。私も出掛けに急いで作った、大ぶりのおかかのおにぎり、それをアルミ箔に包んでいた。交換してほおばると、「ああ、おふくろの味がする」と男はつぶやいた。

 別れ際に、男はカバーのない丸まった文庫本を無造作にとり出し、私にくれた。田辺聖子著『文車日記』。そのときまで田辺聖子を知らなかった。源氏物語など古典への入門書やエッセイ、小説など豊かな作品世界に触れるきっかけとなった。

 

 後年、伊丹の柿衞文庫で田辺聖子展が開催された。おびただしい数のカラフルな単行本、講義の録音テープ、書斎を彩る文具や小物などが、生き生きと展示されていた。中でも釘付けになったのは、箱いっぱいのちびた鉛筆である。これ以上削れないところまで使いきった2センチほどの鉛筆の山。ガラスケースに額を付けたまま、しばらく離れられなかった。

 これがこの作家の仕事の証なのだった。ワープロやパソコンが普及するまでは、簡単にコピーペーストや削除はできなかった。一字ずつ刻むように原稿用紙のマス目を埋め、作品を生み出していったのだ。どれほどの時間が費やされたのか、その質量に圧倒された。

 以来、使い切った鉛筆を小さな箱に貯めることにした。ふだんはパソコン中心なので、数はそう増えない。それでも、鉛筆ホルダーに短いのを挿していると、自分が始末のいい、けなげな人間になったような気がしてくる。俳句を推敲するときは、裏紙に4Bで書きなぐる。なにしろ鉛筆がちびるのがうれしいのだ。俳句が上達するかどうかとは、また別のことである。

 若い日、列車で行き合った名も知らぬ男のふるまいが、私のささやかな習慣をつくっている。

(以上)

◆「小海線のおにぎり」:大城戸ハルミ(おおきど・はるみ)◆

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