関西現代俳句協会

2017年2月のエッセイ

はじめて通る道

谷川すみれ

 日課として毎朝30分程の散歩に出かけている。コースは2通りあり、1つは高層大型団地の植栽林を歩くコースだ。
 植栽林の春は、咲いて散って行く桜が1年の始まりを伝えてくれる。桜並木のトンネルに入る時は、いつも何か目が眩む思いがして、私はどこにいるのだろう、この先はどこに通じているのだろうと胸が騒ぐ。
 夏の花壇は白い花があふれて目に涼しく清らかだ。白という色は不思議だ。中には色々な色が隠されているのではないか。例えば太陽の七色、人には見えない地下何メートルの土の色、それがどうして白い色になるのかと吸い込まれるように見てしまう。
 秋、冬支度を始めた銀杏は全身を黄色く染めて、ここにずっといたんだと声を上げている。
 冬の枯木の線の美しさには無駄がない。暮れきる前、欅は黒々とした線になり、身体を巡る血管の映像のような繊細さだ。

 ある日、途中でカラオケグループの一人に出会った。
 「こんにちは、お元気?」
 私は明るく声をかけた。彼女はこの中の一棟に住んでいるそうだ。カラオケの時はあまり笑わない彼女があれこれ話しては笑った。
 「私の生活の基礎は茶室にあるの」
 茶道を長く修練しているらしく、茶道を続ける為にテニスを始め、テニスの筋力をつける為に水泳を始めたという。他にも書道などもしているそうで、スーパー女子とは彼女のことだ。カラオケグループを起ち上げてから4年になるが、いつかゆっくり茶道の話を聞きたいものだと考えている。それにしても、歌うことは心身の健康の維持に大変良いと実感じている

 2つ目は大阪拘置所の壁を見上げながら、大川の岸辺へ向かうコースだ。川を見るのが昔から好きで若い頃は大和川の近くに住んでいた。夕方天王寺での仕事を終えて堺市との境界の橋を渡ると家に帰って来たとほっとしたものだ。
 現在は淀川の支流である大川の近くに住んでいる。こんなに川の近くに縁があるということは前世は魚だったかもしれないと思ったこともある。上流からの風を顔に受けていると自分の知らない世界がまだまだたくさんあると感じる。
 何年か前から改築工事が続く拘置所は、周りの植栽も整えられ建物も病院かホテルのようなたたずまいになった。だが、窓に嵌められた格子と高い壁が隔離された異質な場所であることを示している。因みに東京拘置所に次ぐ2番目の収容人員を擁し、矯正管区や死刑執行施設もあるそうだ。

 ある日、いつもと違うコースを新しく辿った。住み慣れた地域でも散歩に適当な道が色々あるものだ。相撲草もここの分は元気が良い。
 卓球のチームリーダーだった人の家があり、植木が趣味の彼はたくさんの鉢を家の周りや室外機の上等に所狭しと並べていた。出会うと植木や卓球の話をした。ところが半年ほど姿が見えないので、共通の友人に尋ねると亡くなっていると聞いて驚いた。
 それから三ケ月ほど経って徐々に数を減らしていた植木鉢は今ほとんど無くなっている。

 ある時、植栽林を歩いていると横に延びる道が見えた。はじめて通る道だった。何があるのだろうと横に曲がり、幾つかの角を曲がっているうちに、小さな水の流れや、滝が設えられているいつもの道に出た。
 考えてみれば、今まで幾つものはじめて通る道を選んできた。俳句の世界に入ったのもそういうことだ。この道は苦しい道だが、机に向かっている時が一番自分らしいと感じるし落ち着くので、10年先を目標にしっかり歩いて行こうと思っている。1句が出来た時のルンルンとした喜びを求めて。

(以上)

◆「はじめて通る道」:谷川すみれ(たにがわ・すみれ)◆

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