関西現代俳句協会

2017年1月のエッセイ

旅をする蝶

吉田成子

 三重県の中部、美杉町にアサギマダラが乱舞する畑があるというので訪ねてみた。かねがね見たいと思っていた渡りをする蝶である。そこは村おこしの一環として、アサギマダラが好んで来るという藤袴を休耕地に植えてこの蝶を呼ぶ活動をしている。

 アサギマダラは翅を拡げると10センチほどの大きさで、紋白蝶などと比べると大型の蝶であるが、美しい翅で2千キロメートルを超える距離を飛ぶという。この蝶は春から夏にかけて本州で繁殖し、秋には遠く九州や沖縄、果ては台湾辺りまで移動し、冬の間は暖かい地で過ごすそうだ。海を越えてそんな長距離を飛ぶのだから、さぞ強靭な翅を持ってゐるのだろうと思っていたが、その翅は思いのほか繊細である。ここでは秋の七草の一つ藤袴が咲くと飛んでくるそうで、さほど広い畑では無かったが浅葱色に黒い斑模様の翅を存分に拡げ、何匹も飛び交っていた。

 アサギマダラは春に本州に飛来し、卵を産んで一生を終えるが、卵は幼虫の間にガガイモ科の植物であるキジョランなどの葉を食べて育つ。この葉には毒性の強いアルカロイドの成分が含まれていて、その毒素を体内に取り込み成虫となる。藤袴に集うのはこの花にもアルカロイドが多く含まれており、蜜を吸うことで体内に毒素を溜め込むらしい。渡りの途中に鳥などに捕食されないための防御手段である。毒を武器にして大海を南方へ渡るようだ。

 アルカロイドは植物成分ながら嘔吐や腹痛、痙攣や幻覚症状まで起こすほどの有毒物質である。そんな強い毒素が蝶自身の身に害を及ぼさないのが不思議ではあるが、猛毒にも順応する機能を備えているのだろうか。

 普通の蝶は1週間ほどで翅がボロボロになるというのに、アサギマダラの翅はその美しさに似合わず、長距離を飛び続けることが出来る逞しい翅を持っているのである。といっても格別分厚い翅ではないが、移動距離を調べるために翅に油性ペンでマーキングするそうだから簡単には傷まないのだろう。それにしてもこの翅でどのようにして海上を飛び続けるのか、知りたいものだがその経路や移動の範囲などの全貌はまだ明確ではないと聞く。

 1メートルほどの高さの藤袴の花の上を飛び廻っては止まる。その姿を撮るべくカメラを近づけても逃げようとしないし、すぐ目の前を横切ったりもする。襲われることを知らないから人間にも警戒心が薄いようだ。天気の良い日ほど数多く飛ぶらしいが、その日はあいにく曇っていたので乱舞という数には至らなかった。

 羽化後の命は百日ほどというから、南下した先で卵を産んで果て、その卵が幼虫から成虫になり、北上して春には日本へ来る。この南下と北上を繰り返して小さい体で見事に種の存続を図っているのだ。

 「旅をする蝶」とも言われるアサギマダラも、近年のように地球温暖化が進むと、この国の冬は更に暖かくなるに違いないから、いつの日か南下や北上の必要が無くなるかもしれないが、いつまでも「旅をする蝶」であってほしいものだ。

(以上)

◆「旅をする蝶」:吉田成子(よしだ・しげこ)◆

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