関西現代俳句協会

2016年12月のエッセイ

命綱の結び方

花谷 清

 御堂筋は、大阪市街の中心を南北に貫く大通り。両側にならぶ建物の高さが市の規制のために揃い、辺りの景観が整っていた。

 10代の終わり頃、同級生の紹介で一日だけのアルバイトをした。場所は御堂筋に面しており、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島の淀屋橋から少し南へ歩いた東側にあった。仕事は、高層ビルの窓拭きの補助とでもいえようか。ひとりの男性作業員が、ビルの屋上から吊した一本の太いロープに身を託しながらビルの壁面の窓を拭く。その男性のぶら下がるロープの結び目を屋上で見守ることが、ぼくの役目である。

 日焼けした小柄な作業員は、一見似ているけれども、実際は異なる二通りのロープの結び方を、数回示してみせた。「これさえ間違わへんかったら、大丈夫や」と、ひとり言のように呟き、焦げ茶色のロープの結び目を叩いた。それは〈命綱の結び方〉だった。安全な結び方は、下側へ張力が働いたとき、結び目が解けないように自ずから締まる。危険な結び方は、張力が掛かると結び目が緩む恐れがある。

 鉄製の頑丈な留め金が、外壁の窓の間隔でビルの屋上の端近くに設置されている。作業員は、まず屋上の留め金にロープの片端を自分で結ぶ。つぎにロープのもう一方の端を御堂筋の舗道まで垂らす。屋上の縁から身を軽々と宙へ乗り出し、すこしずつロープを降りながら、10階ほどの窓を一枚ずつ拭いてゆく。もしロープが緩んで解けたら、もし誰かがロープを故意に解いたら、ぶら下がっている人間は落下し、大怪我か、墜落死となる。安全のためにロープの結び目を見守る役目だから、ぼくは傍に居さえすればよい。ほとんど何もしなくてよかった。手持ち無沙汰で退屈だった。高度恐怖症気味なので、屋上の縁へ寄るのを避けていた。屋上は暑くも寒くもなかった。

 屈託のない男性だった。年齢がたいして離れていないようにもみえた。が、錯覚だったのかもしれない。休憩時間にぼくの世代の知らない戦時中の体験を語りだした。中国大陸にいたときに憲兵から受けた拷問のことだった。身体を逆さ吊りにされ、どのように責められたかを話した。なぜ気を失うまで拷問をされるに至ったかの理由は訊かなかった。半殺しに遭ったけれども、助けてくれた人がいたという。将校のひとり——確か、少佐と言ったとおもう——のお陰で、命拾いしたとのこと。真昼だったが、作業員のことばに耳を傾けているあいだ中、冷え冷えとした夜の大地をぼくは思い浮かべていた。

 作業員のこの体験を聞いた日から、もう50年くらいが過ぎている。

    やや白き素数ちりばめ冬木立      清

 淀屋橋から眺める御堂筋は、かつての景観をかすかに残しており、やがて散り尽くすであろう銀杏並木の黄葉がかぎりなく眩しい。

(以上)

◆「命綱の結び方」:花谷清(はなたに・きよし)◆

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