関西現代俳句協会

2016年4月のエッセイ

近江富士

村井隆行

 私は、滋賀県の野洲という所に住んでいる。住所表示は市制になるまでは、野洲郡野洲町野洲という人をばかにしたような住所であったが、私自身は結構気に入っていた。今は野洲市野洲と普通になった。

 野洲市には、近江富士と呼ばれている三上山がある。各地にあるふるさと富士の一つである。
 小さい頃から、標高432メートルの山に富士という名称には違和感があり、どう見ても富士ではないと長い間と思っていた。

 ところが、近江富士に魅せられて京都から、野洲に移住してきた八田正文という写真家がいる。氏は、何冊か近江富士の写真集を出版している。私にはあまり興味のなかった近江富士であったが、氏の写真集を見てからは、巡った視点からのよさを今更ながら、感じ取ることができるようになった。

 また、野洲市には銅鐸が多数出土しており、古代の人々もこの山を見上げていたのだろうかと思うと、何か過去から現在へ時間の連続をも感じられるようにもなってきた。氏の写真は、インターネットでも見ることができる。

 この近江富士(三上山)には、百足伝説が有名である。百足伝説とは、近江富士を七巻半した大百足を、俵藤太が弓矢で射って退治したというものである。
 俵藤太とは、関東で承平・天慶の乱を起こした平将門を、討伐した藤原秀郷のことである。

 さて、近江富士を詠んだ句を探してみると、何句かある中に山口誓子の句で

     近江富士青き近江の芯をなす

があった。
 近江富士を見上げる所に住んでいる私には、この感覚はない。
 しかし、琵琶湖をはさんだ対岸の比叡山あたりから見れば、確かに平野に突き出た近江富士には、やはりこの表現で合っていると思える。

 最後に、私にとって近江富士は眺める山であって、ほとんど登った記憶がない。
 これを機会に、また一度登ってみょうかと思う。

(以上)

◆「近江富士」:村井隆行(むらい・たかゆき)◆

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