関西現代俳句協会

2016年1月のエッセイ

手間暇ということ

宇多喜代子

 いま、かねてより係わってきた現代俳句協会発行の「昭和俳句作品年表・戦後篇」作成のための委員の一人として、戦後の作品博捜にかなりの「手間暇」を捻出する日々を過ごしている。
 戦前篇を作る際には古い資料の在り処を探すことからが難儀であった。かかわりのあった俳人の大方が故人であり、戦争のごたごたで資料も散逸しており、作品の発表年次の特定が難しかった。委員のだれもが、きっと戦後はやさしいはずよねと話しつつ作業に当たっていたのだが、さて「戦後篇」に取り掛かってみれば思うほど簡単ではなく、昭和20年代の俳誌一つもどこになるのかがわからないのである。

 そもそも大阪には、近世近代の文学のための「文学館」というものがない。30年前、いやもっと前であったか、大阪市内の廃校小学校の跡地に文学館が建つという話があった。あの話はどこへ消えたのか、単なる噂であったのか、その後そんな話のかけらも聞こえてはこない。  

 近松門左衛門や井原西鶴、芭蕉や蕪村、鬼貫など上方ゆかりの文学者をはじめ、小説、戯作、短歌、川柳、俳句など、知りたいこと、調べたいことが山ほどあるのに「ここ」と定めた文学資料館がないのである。せいぜいいくつかの大学の研究室かあちこちの図書館がそのかわりを担ってくれている。ただしこれらも知る人ぞ知るであって、開架図書として利用できる一般向きではない。

 ゆえに各句集や俳誌からの作品抽出は個人持参のものをたよりに年次ごとの作品をピックアップしている状態で、手間のかかることは戦前篇と同じである。

 作品年度がわかりやすい俳人の代表は高濱虚子で、生涯にに残した句はすべて「大正○年」「昭和○年」とその製作年が明記してある。いわば単純なのだ。いつ発表された句かがわかりにくいのは、句集を編む際に自作を春夏秋冬やテーマごとに分けてまとめたものなどで、作者当人に問い合わせても「さあ、いつだったかしら」「わからない」が多いのである。

 そこで古い俳誌を繰る作業がはじまる。アレを繰ったりコレを繰ったりができればいいのだが、アレやコレの所在不明にはお手上げである。パソコンという現代の主役利器がなんの役にも立たないのである。

 それでも、折々に戦前篇を手にしては俳句と時代、俳人と時代について興を新たにする楽しみを味わっている。

    真夏昼死は半眼に人を見る       飯田蛇笏

    朴散華即ちしれぬ行方かな       川端茅舎

    蝶墜ちて大音響の結氷期       富澤赤黄男

    鳥の巣に鳥が入つてゆくところ    波多野爽波

    炎天の一片の紙人間の上に      文挟夫佐惠

    麗しき春の七曜またはじまる      山口誓子

 これら各々の代表句のどれもが「昭和16年」に発表されていることなど、まことに興味深いのだ。

 残念ながらこの先、大阪に文学館が建つことなどまずないだろう。

 今後しばらくは資料を整えるために「手間暇」をかけねばならない日がつづくだろう。パソコンが役にたてない仕事がまだあるということである。

(以上)

◆「手間暇ということ」:宇多喜代子(うだ・きよこ)◆

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