関西現代俳句協会

2015年7月のエッセイ

戦後70年に思うこと
    ―飾らず、逞しく生きたい―

藤井冨美子

 

 私は且つて俳誌「群蜂」誌上に、師榎本冬一郎の作品を毎号1句ずつ取り上げ「冬一郎歳時記」というタイトルで掲載してきた。後日『冬一郎歳時記』として1冊の本にまとめたが、改めてその冊子に目を通してみると、人間の人生が見えてくることに気づいた。木綿を好んだ冬一郎、素朴で力強い意志的な生き方、人間に対しても、社会に対しても、自己を含めた強靭な態度に明確さを通している。その生き方そのものが自己の作品に凝縮されていることの厳しさが、もっとも私達に色々な示唆を投げかけている。偉大な師に受けたものが果たして自分の中に生かされているのかどうか。私はいつもその反省に立っている。

 ところで、「戦後70年」は私の人生の殆んどを埋めているものである。且つて戦災で家族や家財を失った痛手は、現在に至っても決して消えるものではない。「戦後70年」を考えるとき、私の生きてきた人生の原点は「戦災」での思いである。俳句生活もこの「戦後70年」の殆んどを占める。生きてきた原点を大切にする気持も変わることはない。日常においても身丈だけのものでしかなく、それが平和と思える世にのみ通じる大切なものである。ただ現状を考えるとき、一縷の不安を抱えているのは確実な事実ではなかろうか。後戻りは許してはならない切実さを忘れることのないよう、自分の精神をしっかり支える日々でありたいと願っている。俳句作家としての自己の指標を見誤ることのないようにしておきたいものである。平和馴れが当り前に思っている世代の人々が増えるなか特にそのことは心して見ていかなければならないことではなかろうか。

 戦前戦後を強く生きた俳人の中で、私の師榎本冬一郎もその中の一人である。先日、私の『全句集』出版を記念して、長年ご交誼を下さった俳人の方々が集まり、祝賀会を催して下さった。翌日、和歌山市加太へ吟行を兼ねて足を伸ばした。淡島神社境内には、荒い原石のままの大石に、冬一郎の作品

      明るさに顔耐えている流し雛        冬一郎

と刻んだ句碑が、群蜂俳句会によって建之されている。

 神社境内には全国から送られてきた雛人形がびっしりと置かれている。この人形は毎年3月3日、白木の舟に乗せられて湾内に流される神事が行なわれるが、この日は近隣府県からの参拝者の集まる中で「流し雛」の行事が行なわれる。大勢の俳人達も参加されているので、この句碑を見られた方も多いのではなかろうか。私も毎年この行事を見に行く一人だが、自然の木々に囲まれた静謐な風景の中では、俳人として生きて来てよかったとしみじみ思う時間が味わえる。

 先日は、淡島神社参拝後、句会を行なった。神社の木々の新緑、磯の香り共々心を癒す糧となった。神社界隈では、この磯でとれる海産物を箱に並べて売り捌く人達の露店が並ぶ。親しみの売り声に惹かれて箱の中を覗くと、まだ生きている鯛が跳ねていた。加太の桜鯛は有名である。「わあ、生きている」と云いつつ買って行く人が何人かいた。

  私は、故郷である和歌山の地元の人間だが、やっぱりここの人達の飾らぬ人柄と生き方に、またもや感動した。いつもは忘れていた紀州に、こよなく生き続ける「人情」や「逞しく生きる姿」に、涙の出る思いであった。俳句作家としての自分の生き来し道のりを省みながら、紀州人の誇りを思う。この、飾らず、逞しく生きる道を、私も今後生きつづけたい、と思う今日この頃である。

(以上)

◆「戦後70年に思うこと―飾らず、逞しく生きたい―」:
                    藤井冨美子(ふじい・ふみこ)◆

▲今月のエッセイ・バックナンバーへ