関西現代俳句協会

2015年4月のエッセイ

集中治療室

小泉八重子

 昨年は大方一年中、私の夫Sの病気に振り廻されたような気がする。Sは肺炎になりやすく何回も入退院をくり返してきた。

 あれは昨年の春、例によって肺炎で入院中のSがやっと退院ということで、私と長男が迎えに行き帰宅した。
 Sはさすがに嬉しそうであった。私もようやく心が落ちつき、その夜は親子3人一寸したご馳走で楽しい一ときを過ごしたのであった。

 だがその安らぎは長くは続かなかった。2日目の夕方、私が句会から帰るとソファーで横になっていたSは元気がなかった。
 「二階へ上って寝るわ」と言う。
 私は「すぐ夕飯にするから食べてから寝てね」と何とか夕食をすませた。
 そこへ長男が来た。父を見るなり「しんどそうだね」と言った。
 「そうなの、早いけど寝た方がよいと思って」。

 Sは「トイレへ行く」と言いながら椅子から立ち上れない。長男が後ろから抱きかかえるようにしてトイレに連れて行ったが、もう立っていられない。
 そうしているうちにトイレの床に倒れてしまった。
 「仕方がない。救急車を呼ぼう」
 そして救急車に頼ることになった。

 集中治療室は独特の雰囲気を漂わせていた。
 処置のため私達はすぐ外へ出されそれから約3時間待合室で待った。やっと呼ばれたのは夜の11時を過ぎていた。
 医師にお礼を言う。先生の表情は厳しく、
 「肺炎です。少し落着きましたが予断を許しません。何が起こっても不思議ではない状態です」
 先生の一語一語が耳を貫いてゆく。

 3日前に退院したばかりだったのに何故こんなに早く悪くなってしまったのだろう。だがこれは現実なのだ。Sは必死で病魔と戦っている。そして先生も戦って下さっているのだ。事実を把握しながら何故か納得できない気持ちであった。夜中12時過ぎ、長男の車でようやく病院をあとにした。

 眠れぬ一夜が明けた。Sはどうだろうか。治療室のSの映像が頭から離れない。病院へ行かねばと思っていた時、電話がかかった。病院からで来て頂きたいとのこと。騒ぐ心を押さえ長男に連絡して病院へ急ぐ。
 先生は顔を見るなり、「容態は変りません。お聞きすることが沢山あります」。そして「急に呼吸が止まる場合があります。人口呼吸器を付けますか? どの程度までの延命処置をしますか?」と具体的なことを次々と聞かれる。
 要はどこまで延命させるか、という事なのだ。

 私が答えに窮していると長男が「とに角、今のところは全力で助かるようによろしくお願いします」ときっぱり言った。
 先生はしばらく考え「判りました」とその場は打ち切られた。
 何かどんどん心が暗くなってゆく。お葬式のことが一瞬頭を掠めた。
 Sには兄妹が5人居る。私はその中の一人に電話して現状を話し、他の4人への連絡を頼んだ。

 昏々と眠ったSはそれから3日目に蘇った。ようやく目をはっきりと見開いたのだ。
 医師たちの懸命な処置、努力に本当に感謝する。助けて頂いたのであった。
 「よく助かりました。体が勝ったのです」と先生はおっしゃった。
 私、長男、兄妹達も心から深く先生達にお礼を言ったのであった。

 あの覚悟を決めた一瞬を忘れないだろう。

(以上)

◆「集中治療室」:小泉八重子(こいずみ・やえこ)◆

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