2014年9月のエッセイ
一枚の写真
前田 勉
恩師小田慎次の遺品の中から一枚の写真が出てきた。
それは、昭和39年8月8日青玄俳句会の夏季勉強会のものだった。小田慎次に誘われて、参加した長崎県、九十九島の渡船場でのものだった。あれから約50年過ぎたが、当日の参加者の中に後の俳壇を背負って立つ程の人達が居た。伊丹三樹彦、公子夫妻はじめ、桂信子、楠本憲吉、八木原裕計、室生幸太郎、江上壱弥、西井江村、小田慎次等、総勢16名の比較的少ない参加者であったが、一泊吟行会での楽しい旅であった。
第二次「青玄」 が狼煙を上げ三樹彦主幹が立ち上がった時だった。
あれから50年もう鬼籍に入られた方も多いが、数々の俳壇の賞を取られた方も多い。
三樹彦、公子夫妻は今も「青群」 で活躍中であり、桂信子は「草苑」を設立され、現在活躍中の宇多喜代子、丸山景子、吉田成子等の多くの人材を育てた。また楠本憲吉は「野の会」を設立、的野雄、鈴木明、吉本忠之等を世に送った。室生幸太郎は、青玄終刊後に「暁俳句会」を設立、その代表として今も第一線で活躍中であり、私も「暁」に所属している。
昭和43年に俳句に挫折し、約30数年後にこの一枚の写真により復帰したのだが、先ず驚いたのは女性が7割方を占めている女性上位の俳壇になっていることである。俳句は男性的なもの、短歌は女性的とよく言われますが、世の中の変化で、女性の時代に入ったのだろうか、女性が逞しくなったのだろうか。そして俳句を詠む若者が少なくなったことに驚いた。これは俳壇にとって大きなマスナス面であろう。各結社も今、後継者が居なくなり、やむを得ず、廃刊に追われている状態で非常に淋しい限りである。
現代の俳句はどう変わったのだろうか。金子兜太、高柳重信、赤尾兜子等の作家が自己の内面を曝け出すような詠い方で活躍していた時代は終り、あれから、50数年経った今、俳句界を牽引して行く者が居なくなったのだろうか。その当時の人々はみな80代に突入し、守りの姿勢に入られたのであろうか。俳句が面白くない、時代にそぐわないと、若者は多方面に行きかけたのであろう。
真の俳句とは何か、今残された我々が本当に考えなくてはならない時なのだろう。
(以上)
◆「一枚の写真」:前田 勉(まえだ・つとむ)◆