関西現代俳句協会

2014年3月のエッセイ

三田俳句協会の成り立ち

若森 京子

 私が西宮市から、九鬼藩三万六千石の城下町で人口三万余りの三田市に昭和44年に移り住んでもう45年経ちました。その間兵庫県がニュータウンを建設し、現在の人口は5年連続人口増加率日本1位になり4倍強に増えました。農村地域、旧市街地、ニュータウンが、他市と違った文化を展開しています。

 市内に約600基の古墳があり、6世紀から7世紀にかけて、現在の青野ダム周辺では須恵器すえきと呼ばれる焼物の生産が始まり、それ以来三田焼に至るまで1300年以上もの間各時代の先端技術を導入した焼物の産地でした。三田盆地が静かな湖であった頃に積った良質の粘土を原料とした三田焼も有名です。この地質や地形が祖先の営みと三田の特徴ある歴史・文化を育んだのです。

 100年前、帝国博物館の創設に尽力した男爵九鬼隆一が開設した日本初の私設博物館は三田博物館でした。そして三田市ゆかりの一級美術、工芸品などを展示しましたが、戦争の影響で30年足らずで閉鎖しましたがそれに代わる担い手として多彩な文化活動があります。

 日本に初めてビール・マッチ・写真機を発明した化学者川本幸民氏をはじめ、白洲退蔵、数学者の元良勇次郎など沢山の偉人を排出しました。天才彫刻家、天岡均一も三田出身です。大阪中之島難波橋に鎮座する4頭のライオンの制作者です。

 私はこの豊潤な土壌の三田市に生活をして特に俳句に関わり、金子兜太の結社「海程」同人ですが、現在三田俳句協会の三代目会長として15年経ちました。

 第1回の昭和43年11月の文化祭は、忠魂堂にて行われました。俳句同好者が一堂に会したのはこれが初めてと思われます。1代会長川本水仙先生と2代会長岸本亮史先生をもとに互選で行われたと記録に残っております。この年迄は俳句同好者は個々に結社や新聞等に投句されていたようですが人数は定かではありません。

 平成2年6月に三田俳句協会設立総会があり、青葉俳句会、花菜句会、しぐなる句会、茜草句会、春水句会、若緑俳句会、海程俳句会の7グループ約85名で協会を設立しました。この年の6月に第1回神戸・三田国際公園都市交流俳句大会が開催され、秋の文化祭と春の交流俳句大会(神戸新聞社後援)の年2回の俳句大会が続けられています。

 又、俳句協会会報「俳句」がこの年に創刊され、年に1度発行され23号になりました。

 昨年の6月の国際交流俳句大会は第24回を迎え、11月の文化祭俳句大会は第46回を迎えました。

 私の記憶では、外部からの選者の変遷は多々ありましたが吉本伊智朗、小泉八重子、板谷芳浄先生は初期よりお世話になっており、中井之夫、土肥幸弘先生も長く、高橋可子、古川起与先生にも大変お世話になっております。

 これからも可能な限り継続していかねばと思っております。

(以上)

◆「三田俳句協会の成り立ち」(さんだはいくきょうかいのなりたち):
若森 京子(わかもり きょうこ)◆

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