関西現代俳句協会

2013年12月のエッセイ

羊の時間

岡田 由季

 学生時代、英国のチェルトナムという町に短期ホームステイをしたことがある。チェルトナムはロンドンから西に車で2時間ほど行ったところの丘陵地帯にあり、保養地としても知られるこじんまりとした美しい町だ。私のホストファミリーの家はさらにそこから車で10分ほど田園地帯を走った先の集落にある、これもこじんまりした家だった。ホストファーザーは飛行機関係の技師をしており、毎日町まで通勤していたが、近いので毎日ランチを食べに家に帰ってきた。

 イギリスの夏は、日が長い。早めの夕食のあとも、たっぷりと明るい時間がある。ホストファーザーは私たちと愛犬のゴールデンレトリバーを車に乗せ、近くの丘に毎夕散歩に連れていってくれた。犬はよく躾けられていて、リード無しで草原に放たれても、呼べば必ず戻ってくる。丘のところどころに、放牧された羊がいて、そ知らぬ顔で草を食んでいた。そうこうするうちに日も暮れかかり、皆で家に帰り、ミルクたっぷりのお茶を飲んだ。

 日曜日は午前中に教会へ行った後、ケーキを作って森へピクニックに。本当に材料を1パウンドずつ量った、シンプルなパウンドケーキだ。また違う日には、後に日本でブームとなったコッツウォルズの村々を散策。可愛らしい雑貨店などがあり、ホストマザーはそこで時間を費やした。ホストファーザーは、「まったく女性は、ショッピング、ショッピングだ!」と肩をすくめてみせたものだ。ある日はどこへも行かず裏庭でバドミントンなどをしてすごした。庭はさほど広くないが裏庭と前庭があり、どの家もガーデニングに力を入れていて、様々な花が咲き乱れていた。一日が長いような短いような奇妙な感覚があり、日本での生活とは時間の流れ方が違うと感じた。

 数年後、社会人になってから、再び当地を訪れる機会があったが、たたずまいはほとんど変わっていなかった。数年間でのその町の大きなニュースは、新しいショッピングセンターができたというようなことだけのようであった。当時、東京の集合住宅に住み、通勤と雑事で時間に追われる日々を送っていた自分は、そういうゆったりとした生活に憧れを抱いたものだった。

 そんなこともいつしか忘れ、更に長い月日が経った。現在、縁があり大阪の泉州に9年程暮らしている。成人してから、そんなに長くひとところに住んだのは初めてだ。通勤時間は、徒歩3分。東京に居たときは終電での帰宅もしょっちゅうだった夫も、毎日19時頃までには帰ってくる。念願の犬も飼った。ごく小さな庭にいろいろと草花を植えて楽しんでいる。東京に比べれば空が綺麗で畑も田んぼもあるし、羊のいる丘は無いが近くに海がある。買い物等の生活の用は町の中で足りるので、電車に乗って遠出するのは月に数回である。今住んでいる市と、チェルトナムはほぼ人口規模が同じだ。英国の冷涼な気候とは違い、夏は灼熱の暑さが長く続くし、行き交う人々はクイーンズイングリッシュではなく泉州弁を話すが、そういう些事(?)に目をつぶればここにもチェルトナムと同じような時間が流れているのかもしれない。

(以上)

◆「羊の時間」:岡田 由季(おかだ ゆき)◆

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