関西現代俳句協会

2013年7月のエッセイ

大一大万大吉

三木 基史

 「大一大万大吉」という言葉がある。戦国時代の武将、石田三成の旗印としてご存知の方もおられるだろう。このたび関西現代俳句協会の青年部長を拝命することになり、「現代俳句協会とは何のための集まりだろうか。」という基本的な疑問が湧いてきた。勿論、会員ひとり一人は、それぞれが俳人として屹立することをめざすべきである。しかし今の時代に、あえて集団として、どんなことを標榜して活動していくべきなのだろうか。

 「現代俳句協会要覧」(平成24年10月改訂)には、「現代俳句の発展向上を図るとともに会員相互の親睦を深め、文化の興隆に寄与することを目的とする。」と記されている。「現代俳句」という言葉の定義は気になるところであるが、なんともぼんやりとした目的だと感じてしまう。そもそも団体・組織で最も大切にすべきことは、設立の趣旨と活動の目的である。あらゆる団体・組織は、設立の趣旨を受け継ぎ、自ら掲げた目的を達成するために活動している。現代俳句協会創立時の「協会清記」(昭和22年9月)に記された内容を読めば、当時の発起人たちの、協会設立への熱い思いが伝わってくる。設立の趣旨と活動の目的は、その団体・組織の存在意義そのものである。

 例えば、公益社団法人日本伝統俳句協会の定款には、「第3条 この法人は、有季定型の花鳥諷詠詩である伝統俳句を継承・普及するとともに、その精神を深め、もって我が国の文化の向上に寄与することを目的とする。」とある。また、公益社団法人俳人協会の定款では、「第4条 この法人は、俳句文芸の創造的発展とその普及を図り、もってわが国文化の向上に寄与することを目的とする。」となっている。同好の他団体と異なる現代俳句協会の特徴は、表現の自由を前提とした俳人の自立性の尊重にあるだろう。会員数の減少が叫ばれるなか、私たちはいま一度、現代俳句協会の設立の趣旨と活動の目的を見つめ直す時期に来ているのではないか。

 さらに、青年部という枠組みで考えてみると、まるで絶滅危惧種保護観察区域のように思われていないだろうか。しかしながら、協会全体としての昨今の全国的な会員数の減少を考えれば、すでに協会自体が絶滅危惧種保護観察区域になりつつあることを自覚すべきである。結社で育ってきた若手や俳句甲子園出身の有望株を取り込むことも、協会を維持していくためには必要な手段ではあるが、まず私たちの協会自体を魅力あるものへ体質改善していく努力が大切だと感じている。「現代俳句」(平成24年9月号)の中で、安西篤氏が「現代俳句協会をもっと楽しもう」という文章で、会員本人の自覚の問題を指摘されていたことは大変印象深く、心に響いた。本会から青年部が期待されていることは何かを考えながら、私たち青年部員が協会を活性化させるために出来ることを率先して行いたい。青年部らしい発信力のある活動をしていきたいと思う。自ら掲げた目的も目標も決して逃げては行かない。逃げているのはいつも自分たちである。

「大一大万大吉」
 ~万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば、太平の世が訪れる。

(以上)

◆「大一大万大吉」(だいいちだいまんだいきち):三木 基史(みき もとし)◆

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