関西現代俳句協会

2012年4月のエッセイ

黒焦げのお地蔵さま

柿本 多映

 京都大原の寂光院は春寒の中しずかな佇まいをみせていた。

 実は平成十二年五月九日未明に発生した火災のあと私はこの女人寺を訪ねていた。その日の夕刊に掲載された本尊地蔵菩薩(重要文化財)の黒焦げの立像を見たからである。何もかも焼け落ちたなか、菩薩はすっくと立っておられた。哀しみとも慈愛とも言葉では言い表せない思いが、その時私の中で広がっていったのだった。

 日を待たずして私は寂光院へ向かった。多分、三千院からの道を辿ったのだろうか。そのあたりは正確に覚えていないのだが、やっとの思いで寺の前に着いたとき、現実が待っていた。入口には縄が張られ、本堂はブルーのシートに覆われていた。“放火やそうです”という誰かの声を背に聞きながら、私はその場に立ちつくすしかなかったのだ。

 今回偶然にも或るテレビ局の番組の中で、修復された黒焦げのお地蔵さまのお姿を見たのである。東日本大震災から一年。その日を間近にしてこのお地蔵さまに逢うことが出来るのではと思うと、居ても立っても居られなくなりとにかく家を出た。

 京都の地下鉄の終点駅からタクシーに乗りこんだ。大河ドラマ「平清盛」の影響で道が混んでいるのではないか、という私の憶測は見事に裏切られ、昔変わらぬ大原の風景は暫し私の心を和ませてくれた。

 十二年ぶりに寂光院の入口に立った。空を仰ぎながら、ふと大原御幸の法皇と建礼門院徳子のことを思った。哀しい運命を背負った女人寺。

 参拝券を求めながら黒焦げのお地蔵さまのことを尋ねると、それは春と秋に特別公開されるだけで只今は院の奥深く安置されているとのことだった。とにかく十二年前に踏むことの出来なかった本堂への石段を登っていった。途中の宝物殿で再びかのお地蔵さまの写真に逢うことが出来た。

 平成十七年に再建されたという本堂には、大仏師によって彫られた愛らしい地蔵菩薩立像が祀られていた。私はお祈りをしながらも無意識のうちに、かの黒焦げのお地蔵さまを重ね合わせていたのである。

 再び石段を下り、まだ枯れ色の残る道を大原バス停までゆっくりと歩きながら、以前ポルトガルの聖堂で出会った凄い形相のキリスト像を思い浮かべていた。その憎悪とも怒りとも絶望とも言える表情は、恰も人間の持つ内面をすべて抉り出しているようで、何故か涙が止まらなかったのを覚えている。その時この異国の神キリストを最も身近に感じたのである。

 私が逢いたいと願った黒焦げのお地蔵さまも、あの凄い形相のキリスト像も、生身の人間も、ともに共有出来るものがあることを今さらながら思ったのだった。ふと仄かな香りに振り返ると、農家の塀越しに白梅がその枝をひろげていた。

(以上)

◆「黒焦げのお地蔵さま」(くろこげのおじぞうさま):

柿本 多映(かきもと たえ)◆