2011年12月のエッセイ東吉野村での西東三鬼句碑除幕森田 智子平成23年10月26日、東吉野村大又の笹野神社に於いて、西東三鬼句碑の除幕式が行われた。東吉野村には、三鬼門下の鈴木六林男、三橋敏雄、佐藤鬼房の句碑があるが、三鬼の句碑がないのでと、このたび有志の方々により三鬼の句碑が建立され、その除幕式の案内を頂いた。呼びかけ人は、茨木和生、宇多喜代子、木村澄夫の皆さんである。三鬼主宰誌「断崖」の会員であった橋弘と私は、当日出席させていただいた。 笹野神社は、バス停大又のすぐ前であった。前夜から急に冷え込んできた笹野神社の境内に、当日、50名程が集まった。茨木和生さんの司会進行のもと、除幕式が厳かに行われた。除幕の綱が引かれると、愛知県産と聞く1メートル四方位の碑に、次の句が刻まれていた。 鶯や水を打擲する子等に 三 鬼 平成元年から、ふるさと創生事業の一環として俳句の里づくりが進められてきた東吉野村には、これまでに多くの句碑が建立され、このたびの句碑は39基目になるそうである。 平成4年4月5日、没後30年・西東三鬼顕彰全国俳句大会が津山市で開催され、その日、津山文化協会により三鬼が幼少年時代を過ごした家の前に建立された三鬼の句碑の除幕が行われた。 枯蓮のうごく時来てみなうごく 三 鬼 その時に出席していたので、私は三鬼句碑の除幕は2回目になる。 笹野神社での除幕式のあと、一行は、乗って来たマイクロバスに分乗し、そこから2キロメートルの地にある三橋敏雄の句碑に向かった。七滝八壷と書かれた大きな看板が出ている吊橋を渡ってすぐのところにその碑があった。拭われると碑の表がたちまちきれいになった。 絶滅のかの狼を連れ歩く 敏 雄 天好園での直会は、これも茨木和生さんの司会のもとに進行され、「俳句」編集長、鈴木忍氏の挨拶のあと、和やかに三鬼との関わり等が語り合われ、謝辞に立たれた斎藤直樹ご夫妻に花束が贈呈された。 天好園には、隣接して、たかすみ温泉・たかすみ文庫があるが、今回はそこへ寄る時間は無かった。 直会のあと、帰路の榛原駅に向かう前に、バスは、鬼房の句碑の建つ投石(なげし)の滝に寄った。前に来た時よりも水嵩の豊かなその滝のすぐ前に、句碑があった。 山祇の土になれゆく小楢の実 鬼 房 このたびの除幕式には、松茸料理による前夜祭も行われ、30名ほどが参加されたそうで、その人達は、当日の除幕式の前に、木津(こつ)川の薬師堂境内にある 月の出の木ニもどりたき柱達 六林男 と彫られている鈴木六林男の句碑に寄られたということで、このたび、西東三鬼一門の4つの句碑を巡られたことになる。 私は、鈴木六林男の句碑の除幕式には出席していたが、まだ行く機会のなかった敏雄、鬼房の句碑を今回の三鬼句碑の除幕式によって見ることが出来たのは、ありがたかった。今後東吉野村に三鬼の句碑を訪う折りには、すぐ近くの敏雄句碑に寄り、六林男、鬼房の句碑にも足を伸ばすだろう。このたび、三鬼の句碑が建立されたことにより、これまで点在していた六林男、敏雄、鬼房の句碑が、一門としてより強い線で結ばれたことは大いに意義のあることであった。東吉野村に、ぜひ三鬼一門の4つの句碑を訪ねていただきたいものである。 (以上) ◆「東吉野村での西東三鬼句碑除幕」 |
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