関西現代俳句協会

 2011年7月のエッセイ

 青年の主張?

杉浦 圭祐

 俳句と出会って17年になるが、ときどき俳句に馴染みのない方との話題が俳句に及んだ際、無意識に使った言葉が、相手にとっては未知の言葉の時がある。こちらは当然相手がわかっていると思って口に出した言葉だが、現在では俳句に携わっている者のみに使用される言葉だと気づくのだ。

 「俳人」と、俳句に関わりのない方の間にはズレがある場合が多い。自分自身が俳句と出会った頃を思い出して、そのズレに気づかないと危険であると常々思っている。

 レベルは違うが、今年から担当することになった「関西現代俳句協会青年部」の「青年部」もその一つかもしれない。

 俳句と出会った翌年1995(平成7)年8月に現代俳句協会青年部主催「夏期合宿IN奈良」に誘われて参加した。青年部との関わりはその時が初めてである。「青年部」というからには私と同世代位の若い人々の集まりだと思ったのだが、ほぼ40代以上とおぼしき方々で驚いた。26歳の私から見れば、ずいぶん年の離れたオジサンたちに見えたものだった。

 今その参加者名簿を探し出して懐かしく眺めている。参加者27名。うち関西からは14名、関東7名、中部6名。どういう行程だったかは覚えていないが、2日目の朝に春日大社で吟行したことはうっすらと覚えている。

 30代はおそらく3名。20代は私ともう一人、一芸入試を俳句で受けて合格し、軽音楽部でベースを担当しているという女子大学生のみ。また、当時の青年部長の夏石番矢氏と鎌倉佐弓氏ご夫妻の小さい娘さんも俳句は作らないが特別参加。あと、ゲストだったのか50代後半の宇多喜代子、藤川游子両氏のほかは、ほとんどが団塊の世代が中心の40代であった。「青年部」の年齢構成は現在もそう変わっていないか、むしろ高くなっているかもしれない。

 そもそも「青年部」とはなんなのか。

 現代俳句協会ホームページの青年部の紹介を見ると「次代を担う優秀な俳人を育成するため、昭和63年に昭和20年以降生まれの会員(現在は、50歳以下が参加資格です)をまとめ、青年部を発足させました」とある。昭和20年以降と言えば戦後生まれ。発足の年では43歳以下。50歳以下が参加資格となったのはいつからだろうか。

 しかしながら同じく現代俳句協会ホームページで宇多喜代子氏の会長挨拶を読めば、

 現代俳句協会が創立されたのは昭和二十二年の九月です。石田波郷が西東三鬼に働きかけ、神田秀夫を加えた三人の立案に、当時の有力作家が賛同し、原始会員三十八名で出立したのが始まりです。『雨覆』時代の石田波郷が三十四歳、『夜の桃』の西東三鬼が四十七歳、全員の年齢が五十歳以下、山口誓子、中村草田男が上限だったといいますから、隔世の感とは、まさにこのことだと思わずにはいられません。

とあり、ほぼ現代の「青年部」として括られる世代が当協会を設立したことに改めて驚かされる。

  中年や独語おどろく冬の坂

  中年や遠くみのれる夜の桃

 これらの句は創立前年、46歳の西東三鬼によって作られた。

 一般の感覚で言えば、今年43歳の私が「青年部」と名乗るのはちょっと恥ずかしい。「中年部」と言ったとしても、もっと恥ずかしい。

 他によい名称はないものだろうか。

(以上)

◆「青年の主張?」(せいねんのしゅちょう?):

杉浦 圭祐(すぎうら けいすけ)◆