関西現代俳句協会

2011年1月のエッセイ

  骨正月

宇多喜代子

 子どもの頃、祖母や母が教えてくれた「ほねしょうがつ」という言葉を耳にしなくなって久しい。かつてはいくつかの歳時記に季語として立項されていたが、いまやそこからも消えた。一般的な辞典の説明には「西日本で、二十日正月のこと。骨しゃぶり。骨降し。頭正月」とある。

 この季語での作例も少なく、なかでは高濱虚子の昭和九年の作、「五百句時代」の

     ものがたき骨正月の老母かな          虚子

がもっともそれらしく思われる。

 「骨正月」という言葉を遣ってはいたものの、歳時記を繰るまではそれが季語であることも、該当する日が「二十日正月」だということも知らなかった。我が家では、もっと卑俗な意味合いで用いていたから、これを季語だといわれてもなァ、困るなァ、という気分であった。おそらく、祖母が、いやそれ以前の誰かがそもそもの意をわが家流に解釈したのだろう。いや、わが家流が本来の意であったのかもしれない。 

     めでたさのうすうす残る鍋の内         喜代子

     正月の果ての果てなる魚の骨

     母の世の骨正月のうすあかり

(「俳句」平成16年1月)

 虚子の句のほか、相当する句がないので拙作を引いた。

 「ものがたき」ことにおいては虚子の句の「老母」同様に物堅かったわが祖母や母が、松の内を出たか出ぬかの頃に、正月の膳に置くべく調達された縁起物で箸を付けなかったもの、少しばかり箸をつけたもの、身を食べつくして骨だけになった魚などを集めて一つ鍋で炊きなおしたものをオカズにして食べる。この廃物利用を、わが家では「骨正月」と呼んでその年の正月に一応のケリをつけていた。「骨正月」の鍋は男に食べさせるものではないと決まっており、これを食べるのはもっぱらに祖母と母と私であった。

 里芋のとなりに蒲鉾がひん曲がってくっついていたり、鯛の頭の下で結びこんにゃくが解けそうになっていたり、蓮根の穴にふやけたごまめが頭を突っ込んでいたりで、入っているものの前身がわからなければとても食べられたものではない「鍋の内」であった。それなのに、それらの一つ一つに、それぞれが姿よく元朝の祝いの膳、二日の年始客の膳に並んでいたことを思い重ねると、ああ、こんな姿になったけどお正月の名残がする、という気分になったものだ。

 いま、そこここの家庭の食卓にそんなものを出して、女だけがそれを食べるといったらどうであろう。おそらく、そうなる前に廃棄されただろうし、男だけがハレのものを食べ、女がケを引き受けるということになって揉めることだろう。ところが、そんな「骨正月」の鍋を前にして、だれ一人として、ただの一度も「これは差別だ」「これは理不尽だ」「これは不幸だ」などと思ったことはなかった。むしろ今年の芋はよかったとやら、来年から海老はもう少し大きいものにしようとやら、年始客のだれそれの春着はよかったとやら、正月ならではの話が弾んだ。

 女が食べるものといえば、学究的な人が、それは「正月二十日が女正月」だからでしょうとおっしゃる。ところが、かつての暮らしの中で過ごした実感はそんなものではなく、あえていえば、表と裏、陽と陰、の原理が頃日(けいじつ)の暮らしの中に滑り込んで馴染んだという程度のものだったように思う。

 骨正月にかぎらず、鍋や皿のものを食べ終わると、祖母が「これでどれもこれもが成仏しました」といっていたが、思うに、祖母や母のしてきた「食べごと」は、それまでの日本人のだれもが保持してきた当り前のことであったのだ。

 米を研ぐとき、白水に混じって米粒が流れぬように笊で受け、お櫃の最後に湯をさし残った飯粒を集めて湯漬け茶漬けで食べる。だれ一人としてそれを吝嗇だとは思わず、ごく当り前のこととしてやってきた。這うようにして農作業をつづけ、ようやく授かった「食い物」への当り前の気持ちであったのだ。

 部屋の暖房といえばせいぜい火鉢と炬燵くらいで、火の気のないときの台所などまるで冷蔵庫並みの寒さだったから、作り置きの食積が二日三日を腐敗することもなく、ものによっては再加熱し、ものによってはそのままを食べてなんら支障はなかった。

 この後、いかなる歳時記ができても、二度と「骨正月」が採用されることはないだろう。そんな思いで歳時記の新年を繰ってみると、この季語も忘れられる、これも消えると思われる季語が多く、あらためて世が変わるという思いにかられる。なによりも、そのあらかたを実時間で生きてきた人々がいなくなる。

 新年への深い思い、新年のこまごました行事の変貌、米の一粒への思い。この国が大きく別の国に変わる兆しは、これらへの変化に顕著に見え始めている。

 「骨正月」のこまごまを思い出し、ねがわくば、せめて今年一年が息災であるようにと、祈るばかりである。

(以上)

◆ 「骨正月」(ほねしょうがつ) : 宇多喜代子 (うだ きよこ) ◆