関西現代俳句協会

2010年 5月のエッセイ

二月の六甲

岡崎 淳子

 立春も過ぎて2月12日、六甲に登った。

昨年は雨で中止になった「氷の祭典」、途中の駅でそうと知って引き返していた私は、今年こそ氷の彫刻を見たかったのである。もっとも主催者側も苦い経験を生かして、氷の像の展示は屋内に変わっていた。

 氷の彫像は思っていたよりも大きかった。躍動する人物、しなやかな妖精、力に満ちた龍や魚と趣向を凝らした数々の作品が並んでいた。ただ、会期を一日残して、指先・爪先・鰭と繊細な部分から既に解け始め、滴になっていたことが気にかかった。考えてみれば、氷解は彫られて行く傍から始まっていたのである。氷の像の明日の姿を案じながら外に出た。

 往路で既に気付いていたが、低い黄楊の木が厚い氷に閉ざされている。ある部分は透明の、ある部分は半透明の氷の中で、小さな黄楊の葉はまるで新緑のように輝いている。視線を上げると樅の木も氷の中、密封された常緑樹の枝々、いや一木一木が今は全く別のもの、まさに自然の造形、芸術作品である。木々を嵌め込んだ氷は、先ほどの彫刻のそれよりずっと固く、解けそうな気配もなかった。

 山上に来ているのだから展望のきく処へ出てみたい。谷に突き出た展望所、この辺りは落葉樹が多い。一枚の枯葉も残してはいない桜や欅の枝々は、その先端まで向きを揃えた霜のような氷がきらきらと張り付いている。谷から上った霧が急速に冷えた形である。その方向は風のあとであろう。

 私は久々に、全山霧氷の雲仙普賢岳を思い出した。それは三月も半ばを過ぎた頃であった。彼岸近い日差に映える霧氷の眩しさ、真っ白な山径を辿った記憶は、半世紀を経てなお翳ることがない。

 そう言えば俳句を始めて間もない頃、句友から六甲の霧氷のことを聞いて、寒の最中有馬から山頂へ登ったことがあった。足元の岩は凍てついていたが霧氷を見ることは叶わなかった。霧氷は、思い通り簡単に出会えるものではない。諦めも手伝ってその後はすっかり忘れていた。

 思いがけず遭遇した霧氷の中で、私は六甲と雲仙の共通点に気付いた。眼下の海、山懐に湧く温泉、外人による開発等々、そう思うと六甲山が一層親しさを増していた。

 氷の付き方は樹木の種類によって異なる。一面に白く覆われながらうっすら赤みを帯びているのは、芽吹きの楓だろうか。東北地方には「雪ざくら」と呼ぶきれいな現象があると聞いたが、この有様を指すのだろうか。

 折しも等高の夕日に氷の樹々が輝く。銀色のメタセコイアが真直に天を指す。

 正確には空気を含んだ白色の氷の場合が樹氷、透明または半透明の場合は粗氷と言うらしいが、六甲の霧氷・樹氷がこれ程美しいことを私は知らなかった。既に春そのものの光と、まだまだ冬の最中の気温が、地形や湿度や風の微妙な瞬間と出会って作り上げた景観、その自然の芸術作品に出会った私の幸運。解けることのない壮大な景の記憶を賜った六甲の二月のひと日であった。

(以上)

◆「二月の六甲」 (にがつのろっこう) : 岡崎 淳子 (おかざき じゅんこ)◆