2009年 12月のエッセイ 「雑感的に」廣島 美恵子餅花に男(おの)が性(さが)吊る木綿糸 尾上有紀子 商店街に餅花が飾られる季節になった。大方は、発泡スチロールで作られている餅花だが、私が本物の餅花を見たのは、ずいぶん昔の事。京都、島原の遊郭であった。といっても遊郭そのものが廃止された後の「輪違屋」さんのお帳場であった。 餅花は小さく丸めた白い餅や、食紅を入れ桃色の花餅にしたものを交互に、柳の切り枝に間隔を置いて付けられている。それを数本束ね稲の穂に見立てて豊作や財宝が殖えるようにと祈って作る縁起ものである。この餅花が帳場を吹き抜ける風や、垂れている餅花に体が触れた拍子に、柱に飾られた餅花がゆれた。 そばに漆塗りの箱が置かれ、線香が入っている。お客さんが遊ぶ時間を計ったものらしい。角倉了以の直系、当代の角倉さんに誘われて男の遊び所であった遊郭を見学した。粋な連れがないと見ることのできない、そのころの「粋」な世界だった。 餅花に木綿糸で男(おの)が性(さが)吊るとは、不思議な感覚である。谷崎潤一郎は「読者の文学的常識と感覚とに一任する。それだけの常識と感覚のない読者は、どちらにしても内容を理解する力がないものである」と。俳句はみじかい文芸故に言葉を選んで表現する。木綿糸のもつ素朴さと、男のねがう実りのウィットをイメージして楽しんだ。 尾上有紀子(おのえ・ゆきこ) 一九六四年生まれ。句集『わがまま』より 水澄めり直(じか)に響いて人声は 伊藤淳子 十月十日(平成二十一年)。「海程」の俳句の仲間と鞍馬へ吟行にでかけた。山懐に抱かれるように電車は終着駅鞍馬につく。秋空はあくまでも青く、そばに谷川があるのだろう瀬音が聞こえる。駅前は昔ながらの素朴な茶店が並んでいたのが嬉しかった。十日ほど後に、あの有名な鞍馬の火祭りがあるのだが、その門前町にただよう静けさが柔らかく優しい。 左に曲がると正面に鞍馬寺がある。何年か前にきたときは、石段を上る若さが私にあったが、今はその真下に立って最敬礼するのみ。歳月という、寂しさ苦しさを体で感じていた。「水澄めり直(じか)に響いて人声は」吟行に於いても「日常」のもつ景と情(こころ)を簡潔化して、その表現に映像が清々しい。民家の庭先で火祭りのために松明作りがはじまっていた。三米ほどの細木を束ね藤の蔓でくくる。かなりの力仕事であるようだ。 火祭りまで軒先深い茶屋五軒 廣嶋美惠子 以上
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