関西現代俳句協会

2009年 9月のエッセイ

「天上の想い」

池田 潤治

      炎天の空美しや高野山   高浜虚子

 夏場の高野山に登ると、俗世の暑さを忘れることができる。山内の寺院や町家はおおむね800メートルに位置するため、平地より気温が数度低くなるというだけではない。浄土の涼しさとでも言おうか、霊山の寂寥感が心理的な涼感をいっそう誘うからかもしれない。

 私は、この春、十年間勤めた高野山大学の講師生活を終えた。冬場以外の通勤に使っていた軽四の愛車で、久々に高野山に登ることにした。1時間弱の道のりである。 自宅を出て、すぐ紀ノ川を渡る。花と祖母の豊乃が眺めた美しい『紀ノ川』(有吉佐和子)の風情をなくしてはいるものの、紀ノ川はその昔、高野参詣や熊野詣、大峯修験の際に禊ぎ祓いを行う結界であった。その川べりの慈尊院から高野山の金堂まで、約百メートル間隔に石の卒塔婆の町石道がつづく。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の重要な高野山への表参道である。石の卒塔婆の一本一本が胎蔵界百八十尊の菩薩だと知ると、彼の世に分け入ってゆく気分である。空海の母の廟所とされる慈尊院を過ぎたマイカーは、町石道とは別のルートで、紀伊山地の羊腸たる山道に入る。折に樹間から眺望できる深山幽谷の景観に心を奪われながら山上に近づく。エアコンを切り、車窓から涼風を入れる。そんな折、車道と交叉する町石道の三本の卒塔婆に出合う。仏たちが、あと一息の安全運転を見守ってくれている感じにもなる。もう一度、気を引き締めてアクセルを踏み込んだ。

 暫くして、一山の総門である大門に到着。そこから仰ぐ炎天は誠に美しく、虚子の一句に素直に共鳴できる気分になる。山内の霊域は八葉の峰と喩える山々の樹木に囲まれた盆地である。懐かしい大学の学舎は、総本山・金剛峯寺の駐車場近くの高台に建つ。正面玄関に彫り込まれた金剛界曼荼羅の壁面を想い出していると、いつしか山内を響かせる蜩の哀調を帯びた声に取り巻かれていた。

      天上も淋しからんに燕子花   鈴木六林男

 六林男先生が逝って五年。世界遺産登録の2004(平成16)年の暮れのことであった。愛車を駐車し、奥の院の老杉に翳る参道を詣で、香煙の絶えない御廟の前に立つ。「先生、ご無沙汰です。天上は淋しいところですか」と、禅林院鶴翁杜若居士となられた先生に尋ねている自分に気づく。すると、厳格な顔つきながら、先生の優しい眼差しと微笑みが脳裡に甦ってきた。同時に、宣戦と終戦の詔書及び憲法前文を掲載する比類なき俳誌「花曜」八月号が、今年も、手許に届かない寂しさが胸に迫ってきた。

 そんな諸々の想いが去来するなか、再び、紀ノ川を渡河して、また此の世の自宅に帰ることにした。暑い夏の高野詣での一日である。

      昼寝覚空海をまた呼び戻す   潤治

以上