関西現代俳句協会

2009年 4月のエッセイ

演能「隅田川」

政野 すず子

 昨年11月30日、大阪谷町の山本能楽堂で能「隅田川」を舞わせていただくことができた。能楽の師匠は観世流の松浦信一郎先生である。舞終って、たくさんの方々からお言葉をいただいたが、先生の「よくやった!」の一言で思い残すことはなかった。

 謡曲は50 代の頃から友人達で、先生を招いて週1 回お遊びの楽しみで続けていたが、本格的に仕舞を始めたのは、停年退職後、文字どおり六十の手習いであった。

 茨木の俳句の友人が夫を亡くしての淋しさから、仕舞を習いたいので付き合ってほしい、というのがそもそものはじまりであった。それからすでに20 年、今も週1 回往復1 時間の茨木教室へ、車を駆っての稽古を続けている。

 しかし、1昨年あたりから、どうも腰が頼りなくて曲がりそう。整形外科でMRI 受診の結果、脊椎管狭窄症とのこと。いずれは手術しなければ治らないとの事であった。腰痛体操をしっかり続けると、筋肉がコルセットの役目を果たしてくれると、教えてくれる医師があった。その言葉を信じて、私にしては真面目に、腰痛体操と朝のラジオ体操は欠かさないで続けているせいか、今のところ現状を維持している。

 そんな事もあって、10番近く舞わせて頂いたお能も限界では、と思うようになった。松浦先生にお話すると、舞納めのつもりで、大曲だが「隅田川」を、とのことになった。いつまでも初心者の域を出られない私への、先生の大きなお気持ちとお励ましを、無にする事はできないし、大曲への重責の戸惑いいのまま、厳しいお稽古の半年余りであった。周りの友達からは八十歳を超えてまで、と顰蹙をかうことしきりであった。

 能「隅田川」は、1人子を人買いに攫われた京の女が、子の行方を慕い捜して東の隅田川まで、狂乱の有様で辿りつき、そこで見たものは子の墓であったという憐れな物語である。それに古典美の伊勢物語の情緒を反映させて、いっそう奥行を深くしている。能の曲のなかでも傑作といわれる有名な狂女ものである。

 一体俳句と能はどんな関係なのだろう。両方とも型という制約のある点は似ている。それとリズムという時間的な進行が外側から支配している事も…。俳句は季語の要求と5、7、5という音数の支配、能は謡の詩句と声の上げ下げ、間の厳密な規定、このような型や規制が全体の枠となっている点が、不自由さという類似点なのだろうか。

 だが、その不自由さが、この芸の内容の不思議な魅力を形作っているとも言える。俳句は作っては推敲し、棄てては拾いと、時間的なゆとりで試行錯誤の結果、決定作となるが、能は稽古に次ぐ稽古の繰り返し以外の練習法はない。その一瞬一瞬の積み重ねが人前で演じられ、その出来不出来は一瞬の勝負である。能は型、リズム、音声、 囃子の総合的な交響である。型は静的な形だけではなく、リズムを伴って進行的に表現される。その辺になると演者の個性がいくらか発揮されて、決められた型を個々の個性に乗せて演じていくうちに、いつか内からの感情や気魄が、型の上に雰囲気として現れ、微妙な力を発揮する。
  俳句は言葉の美しさ、言葉の間の取り合わせの妙、季感、切字のはたらきとひびき、意外性の介入などの面白さの芸である。このように全く異なった芸であるのに、どこか奥深い所でつながっているように感 じられて、20年以上離れることができないでいる。そして型というものの中にある、目に見えないエネルギーが潜んでいると思える点、俳句と能に共通点があり、枠がなければ行動できない私の性格に合っているのかも、と思ったりする。舞納めといいながら、これもアンチエイジングと呟きつつ、お稽古に励む私である。

(以上)