関西現代俳句協会

2008年 12月のエッセイ

「芭蕉の花の蜜」

森澤  程

 遅ればせながら、義仲寺に行って来た。不思議なもので、私のような者にとっても、芭蕉はいつのまにか身近な存在になっているようだ。それで、一度は墓所を訪ねてみたいと思っていたところ、句会の場所として義仲寺を世話してくれる方がいて、このたびの嬉しい運びとなった。実際、義仲と芭蕉の墓は、程よい大きさで並んでいて、ああこれが芭蕉のお墓なのだという妙な親しみが湧いた。中学生か高校生の頃、教科書で「奥の細道」に触れて以来、芭蕉はずっと古典の中の人だった。俳句をしなかったら、このような感じは持たなかったにちがいない。

 義仲寺には芭蕉が数株植えられていた。折しも花をつけている株があって、葉よりもその花に目を引かれた。芭蕉の花は、境内に溢れる秋の草花とは全く違った姿をしている。苞の剥がれたところがチューブのようなかたちのものとなり垂れさがっていて、その先に直径十センチほどの白い花が咲いている。原産地は中国で半耐寒性だというが、線の強いあっけらかんとした熱帯の花の雰囲気をもっている。引き込まれるように眺めていると、寺の世話をしている人が、花の一部分を取りその中にある蜜を吸わせてくれた。あっさりした甘さのなかに、バナナの香りとえぐみがほんのり感じられる。花の上の方には、固く

て青く小さなバナナがついている。これは食べられないそうだ。また花を付けると、その株は枯れてしまうのだという。株の横には、新しい株が生まれていた。

 この芭蕉をまじまじと見ているうち、私は、芭蕉という俳号について、吉本ばななではないけれど、当時かなりトレンディーで人目を引くものではなかったのだろうかと思った。歳時記には、芭蕉は一種の侘びを添えるもとして、わが国では古くから庭園や寺院の境内に植えられていたとある。秋季としての芭蕉の季感は、秋風に傷ついた芭蕉の葉にもののあわれを託し、無常との連想の上にたつのが伝統的であるとのこと。さて、そんなことを考えていたとき、同行の人の声が聞こえた。

 「僕の家の庭には芭蕉が植えてありますよ。まあ、俳人ですからね。日当たりが悪いせいか、我が家の芭蕉は日光を求めてだいぶ丈が伸びています」と自嘲気味に言うこの方の言葉には、私のように付け焼刃ではない「芭蕉」への思いが感じられた。

 義仲寺ではじめて見た芭蕉の花は、今も目に焼きついている。そして芭蕉の花の蜜の味も忘れられない。この蜜の味は、季語の本意本情からは遠く離れてしまったと頭で決めつけている自分にとって、いい薬となった。

 折しも、我が家の小さな庭には藤袴が美しい。秋の七草のうち藤袴だけを実際に見たことがなかったのだが、十年程前、知人から株をもらった。やっと庭にも馴染み、今年は丈も高く豊かに花をつけている。万葉集、古今集などの昔より歌の詠まれたこの植物を、この頃は名前のみならず好きだと思うようになった。花瓶や花器に活けた後は、乾燥させその香りを楽しんでいる。

以上