関西現代俳句協会

2008年 10月のエッセイ

 「月鈴子 」

岸本  由香

 鈴虫・・・リーンリーンと鈴を振るように雄が鳴くことから鈴虫と名が付いている。コオロギ科に属する昆虫で体調はニセンチにも足りない。体は暗褐色で長い触角をもつ。雌は土の中に産卵し越冬し、翌年の夏に艀化。幼虫は脱皮を繰り返し、旧盆過ぎ頃成虫となった雄が鳴き始める。平安時代には鈴虫と松虫の区別が今の呼び名とは逆である。月鈴子は鈴虫の別称。(『新版・俳句歳時記』第二版、雄山閣)

 あじさいが垣根を彩る頃、知人の理髪師が鈴虫の幼虫を持って来てくれた。彼は毎年鈴虫を艀化させ、増えた分を友人に分けている。昨年も頂いたのだが我が家では残念ながら艀らなかった。

 先月様子を見に彼がやって来た。七月、鈴虫はまだ鳴かない。理髪師によると鈴虫は雌雄が同じほどいないと鳴かないのだそうだ。鳴くのは雄のみ、しかもそこに雌がいないと鳴かない、ということは知っていたが雄が多すぎても或いは少なすぎても鳴かないのである。「バランスが大切」と、どこかのCMにあるような台詞を残して彼は帰っていった。

 翌日理髪師が雄を五匹持って現れた。「これで同じくらいになったから時期が来れば鳴くよ。」と彼。プラスチックの水槽にはホームセンターで買ってきた土と餌を入れたアルミの皿、粉かつおや茄子そして焼いた木片などを入れている。昆虫用の(しかも昆虫によって種々の)土や餌が商品として店頭に並んでいることを知れば、亡くなった祖父は驚くことだろう。祖父も三十数年前鈴虫を飼育していた。もちろん土も餌も家にあるもので、である。

 数日後「小母さん、これ鈴虫にやってよ。人間が食べちゃだめだよ、鈴虫にだよ。」とスクーターを止めて理髪師が母に手渡したのは茄子。見たところ人間が食べても問題なさそうだが敢えて鈴虫に、と言ったのはその茄子が若干古くなったものなのか、それとも手塩にかけて育てた鈴虫に食べさせたい、との親心からか・・・。

 七月の終わりに再び彼が我が子(?)を案じてやって来た。鈴虫はまだ鳴いていない。しばらく水槽を見て一言「ここの(鈴虫)はまだ『大人』になっていないね。うちの(鈴虫)はもう『大人』になってるから鳴いているんだけど。そのうち鳴くようになるよ。」とまぁこんな具合。まさに娘を嫁にやった父親の心境といったトコロか・・・。

 そして月替わりした二日後、鈴虫は弱々しくけれども確かにリーンリーンと翅を震わせて鳴き始めた。夜更けに。ひっそりと静まり返った暗闇で。なんと幽けき鳴き方。なんと覚束なき音色。私はその頼りな気な鈴虫の音にひどく心を打たれた。

 更に二日後、昼食を取っていると母が「あ、鈴虫が鳴いている。」とその音色に初めて気づいて言った。もう立派な虫の音となって響いてくる。「うちの鈴虫も『大人』になったんだね。」私は微笑んだ。

 数日前理髪師が新たに八匹、鈴虫を増やしてくれた。以前に増して鈴虫の音色は大きく美しい。せっかくなので句に残そうと思うのだがどうもうまくいかない。私の場合、「感動イコール秀句」とは限らないということが身にしみてわかった2008年の初秋である。

     鈴虫のいつか遠のく眠りかな       阿部みどり女