関西現代俳句協会

2008年 5月のエッセイ

「高知がえり」

徳弘 喜子

 最近の高知がえりはいつも墓参り。何とかそれ以外に帰る大義名分が欲しいと思っているそんなとき、本山町のことを思い出す。

 本山町は高知県のほぼ中央の山里。私の中には幼い頃から野中兼山の出身地として在った。兼山は土佐の家老、堰を造る時身をやつして村人の声を聞く場面を、小学校の学芸会で見た記憶がある。独裁政治のため失脚、娘の婉は一族と共に四歳から宿毛に幽閉され。、四十年後男子が絶えてやっと赦免され、以降二十五年ずっと振り袖で一生を終えたということなど、祖母の昔話によく出ていた。お婉堂を探し尋ねたのはいつだったか。大原富枝が「婉という女」を発表されたのちのことだったろう。

 本山町に大原富枝文学館が作られたのは、平成三年。玄関前の楊梅の樹が嬉しかった。そうこうするうちにいつのまにか俳句の世界にはまり込んだ私は、同じく奈良に住む俳人右城暮石の名を同郷の大先輩として知ることになる。本山町字古田小字暮石(くれいし)生れ、その小字名を俳号とし、最晩年、帰郷された暮石を顕影しての全国俳句大会が今年で十五回を迎える。それに応募した作品「空席は空席として年新た」が選者の一人宇多喜代子氏の選に入った。

 この町は平成五年から、その俳句大会と併せて二十基もの句碑を建て、「俳句の道」を作られた。最近のを巡り、松瀬青々、右城暮石、茨木和生師弟三代の句碑のある土居跡公園へ。いずれも桜の真っ盛り。

 町に一つの旅館で、高知在住の運河の方々、選者で講演をなさる松林朝蒼氏と夕餉をご一緒にさせていただく。私には名酒桂月よりも、土佐弁がなによりのご馳走だった。泊まった部屋からは、さきほど巡ってきた桜山が遠望され、窓際には土佐水木。窓のカーテンを半分閉め早寝する。朝五時にそれも大分上手になった鶯の声で目を覚ます。山気が心地よく実にぜいたくな自然の目覚め。

 ふと、暮石氏の墓参りを、と思い立つ。タクシー会社ですぐわかり出掛けると、神戸からバスを仕立てて来られた運河のご一行と墓の道で出会い、お供をしてお参りがかなう。その道中、句帳片手に皆さんの熱心で好奇心の旺盛なこと。茨木和生主宰をはじめ、今、最も元気な結社の一つとお見受けした。

 もうお一方、選者のたむらちせい氏にもご挨拶できた。一人旅なのに、だからか、どこでもご縁に恵まれた、花の高知がえりであった。

  頭から土佐の桜を浴びてみる 喜子

以上

 なお高知県本山町のHPはこちらから。